「科学的」という言葉への誤解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 23:09 UTC 版)
「科学的方法」の記事における「「科学的」という言葉への誤解」の解説
科学的という言葉に関する二つの極端な立場がある。一つは、「科学的に証明された」「正しい理論」という文言と、それらしい実験を示しただけで、盲目的に信仰するという立場である。もう一つは、すべては「単なる理論」であるという事を極端に強調し、全く信頼しないという立場である。これらは二つとも科学的という言葉に対する初歩的な誤解である。 「科学的に証明された」、「正しい理論」という言葉が、何を意味するのかは、非常に幅の広い意味を持つ言葉で一般には難しい。このような問題を考慮する場合には、「研究目的にたちかえって考えること」や、「測定とはどのようなことなのか」、「科学的な論証で用いられる論法」など、「科学的な方法」に求められる諸要件について理解しておく必要がある。 特に、科学的な態度においては、特に論文などのように、自らの得た知見を世に問う場面においては、明確な研究目的の提示を行うこと、そして、「研究目的で提示した問題の解」において明快な論理と確かな証拠を以て立証する義務が生じる(詳細はIMRAD参照)。これは、数学の証明問題において「示すべき命題が何なのかを意識せよ」と言われるのと同じことである。例えば「鶏肉からDNAを抽出する」という研究目的を立てた場合には少なくとも「抽出されたものがDNAであることをきちんと立証する」必要がある。つまり、この研究目的に照らして、例えば「洗剤に鶏肉を入れたら、白い沈殿ができた」という結果が得られたとしよう。この場合この結果と「その白い沈殿がDNAである」という結論の間を最も真剣に考察する必要が生じる(循環論法の項を参照のこと)。 本来科学的なものの見方を広めるはずの、啓蒙活動が、かえって「科学的」という言葉に対する誤解を広める原因となることもある。古くから、健康番組や科学番組などにおいて演示実験がおこなわれる。また、科学啓蒙家による演示実験による啓蒙活動がよく行われる。また“インパクト抜群のオモシロ実験”を自宅で簡単にできるようにコンパクトにまとめた本が多数売り出され好評を博している。これらの中には、しっかりとした調査の上に科学的な論理を以って物事の成り立ちを示す大変質の高いものがある一方で、実験データの検証と解釈などの点で科学研究の基礎的な要件をあまりにも無視したものが多数見受けられる。 金澤一郎 日本学術会議会長は昨今の健康番組や科学番組における“科学的な論証”に対し、 適切な対照群の設定 統計的な有意差を得るために必要な実験例数の設定 実験データの検証と解釈 などの点で科学研究の基礎的な要件を必ずしも満たしていないものが見受けられることを指摘した。 ゆとり教育においては、特に初等教育、中等教育において「体験型」を重んじるあまり、単なる「じっけんごっこ」にすぎない、「科学的方法」とはかけはなれた行為を「実験」として理科の教育課程で行ってきてしまったと菊池誠は指摘した。わかりやすさを前面に出すためには、ある程度は枝葉末節を切り捨てることが重要ではあるが、科学的な論証の上で必要な手続きを無視した議論は、結論の成否に関わらず、科学的な態度とは対極にある態度である。 一方で、科学的という概念を無駄に潔癖な方法と誤解している者もいる。現実の科学者に対して、無駄に潔癖な考え方を押しつけ、ただの誤解やミスあるいは(マスメディアに見られる“科学的推論”に比べればはるかにギャップの少ない)「多少は強引な結論」等、科学の進展の上では必然的に生じてくるような特段騒ぐほどでないものを誇張して科学における不正行為と騒ぎ立てるものがいる。こういった問題は最近においては「芸能人の不倫騒動」と同列に大衆の興味を掻き立てるものである。科学者においては誠意をもった推論が必要なことは言うまでもないが、最近においてはこのような“ゴシップ騒動”の影響で、特に若い世代に萎縮効果が出るなどの弊害がある点には注意が必要で、健全な科学の進展には弊害がある。
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