「科学としての歴史」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 02:28 UTC 版)
「ジョン・バグネル・ベリー」の記事における「「科学としての歴史」」の解説
ジョン・バグネル・ベリーのキャリアは、彼の思考プロセスの進化と、彼が歴史の規則(the discipline of history)を「科学(science)」とみなしていたことを示している。1902年、ケンブリッジで近代史の欽定講座担当教授(Regius Professor)としての就任講演において、彼は歴史を「文学(literature)」の1ジャンルではなく「科学(science)」であると宣言した。彼は以下のように述べている。 私は皆さんに歴史が文学の1ジャンルではないことを理解していただこうと思います。歴史的事実は、地質学や天文学的事実のように文芸のための材料を提供可能です。明瞭な理由から、それらは自然科学よりも遥かに容易に芸術表現に導入されています。ですが、人間社会のストーリーに文学のドレスを着せるのはもはや歴史家としてのつとめではありません。天文学者のつとめが芸術的な星々の物語を提供するものではないという以上にそうなのです。 ベリーの講演は歴史は文学の1分野ではないという主張を守り続けた。このことは歴史的事実を巡る議論における歴史学者たちの物語り(narrative)の必要性についての疑問を投げかけた。そして「物語り(narrative)は必要か?」という本質的な疑問を誘起している。しかしベリーは彼の「科学」をレオポルト・フォン・ランケの科学思想および、彼が叫びその思想を有名にしたドイツ語のフレーズ「発生した通りに歴史を伝える」または、「Ich will nur sagen wie es eigentlich gewesen ist.(私はただ実際にどのようにことが起きたかのみを言いたい。)」と比較することで説明した。ベリーの講演中の最終的な見解は彼が以前に発言した「...彼女(歴史)はそれ自体単純な科学なのであり、それ以下でもそれ以上でもない。」と主張する揺るぎ無いフレーズで繰り返されている[訳語疑問点]。
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