「秋葉原」の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:27 UTC 版)
1870年1月(明治2年12月)の大火を受けてできた火除地(空地)に、明治天皇の勅命で1870年(明治3年)10月に宮城(江戸城)内の紅葉山から鎮火三神を勧請して「鎮火社」が創建された。しかし、江戸の街では火防の神として神仏混淆の秋葉権現が広く信仰を集めていたことから、鎮火社についても秋葉権現が祀られているものと人々が誤解して「秋葉社」「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火除地を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことで、「秋葉原」の地名が誕生した。神田筋違見附(万世橋付近)やこの空地にはヒラキが立ち並び、今の講談や浪曲、かっぽれなどが口演をしていたり、時にはサーカス(チャリネ一座の公演)が開かれたりした。 当初、秋葉原はこの空地に相当する神田花岡町域のみを指していたが、秋葉原駅が開業し、旅客駅として利用されるにつれ、その指す範囲も拡大して現在に至る。 鎮火社は1888年(明治21年)に日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長されるのに伴って東京府下谷入町(・東都区松が谷三丁目)に遷宮して、秋葉神社となった。「台東区秋葉原」の地名は、1964年(昭和39年)10月1日の住居表示施行時に「台東区松永町」、「台東区練塀町」から変更されたものである。
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