「国際」と「東方」とは? わかりやすく解説

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「国際」と「東方」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 09:20 UTC 版)

通信社の歴史」の記事における「「国際」と「東方」」の解説

1914年大正3年2月、「国際通信社」(以下「国際」)が設立された。代表社員は、樺山資紀長男財界重鎮樺山愛輔総支配人は元AP東京支局長のアイルランド人ジョン・ラッセル・ケネディ (John Russell Kennedy, 1861-1928) が務めた1923年まで)。 同社設立背景には、アメリカ在住経験を持つ高峰譲吉や、彼に同調した牧野伸顕渋沢栄一らの強い思いがあった。 1909年8月渡米実業視察団団長としてアメリカ向かった渋沢は、同国における日本関係記事非常に少ないこと、しかもそのわずかな記事中には悪意に基づくものもあることを憂慮し日本から海外ニュース積極的に発信する必要があるとの認識を持つに至った1911年には、来日したAPのメルヴィル・イライジャ・ストーン (Melville Elijah Stone) が講演し日本国家代表通信社 (National News Agency) を持つべきだと主張した。のちの同盟通信社社長古野伊之助は、これに感銘受けた1人である。 しかし、世界3大通信社の協定に基づく制約により、「国際」は諸外国通信社独自に契約することが許されず、極東市場掌握するロイター通してニュースを得るに留まった。渋沢らの意図反して、「国際」はロイター従属する立場から脱却できなかったのである。 「国際」は慢性的な赤字苦しんだ同社ロイター支払通信手数料は月2000円対して契約新聞社からの購読料はほぼ同額2000円余りに留まり諸経費を含むと足が出た赤字外務省補填した。新通信社の設立検討された。 1913年11月ケネディ独断ロイター契約渋沢設立しようとしていた通信社文言中の「シンジケート」は、ロイターから日本国内における営業譲渡を受ける体裁ありながら毎年3000ポンド払って原則ロイターからの受信しかできず、発信ロイター側から求められたときだけ行うことになったロイター日本の新聞社と個別契約する必要がなくなった1914年10月1日に「東方通信社」が上海設立された。社長支那研究所所長宗方小太郎。「国際」がアメリカで排日運動刺激され誕生したのに対し、こちらは中国におけるドイツ排日運動盛り上がり対抗するため、外務省働きかけによって誕生した1920年大正9年8月1日同社は「新東通信社」(以下「東方」)に改称し本社東京移転している。

※この「「国際」と「東方」」の解説は、「通信社の歴史」の解説の一部です。
「「国際」と「東方」」を含む「通信社の歴史」の記事については、「通信社の歴史」の概要を参照ください。

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