「国際紛争を解決する手段としては」の解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:35 UTC 版)
「日本国憲法第9条」の記事における「「国際紛争を解決する手段としては」の解釈」の解説
憲法9条第1項にある「国際紛争を解決する手段としては」の文言のかかる範囲とその意味については、次のような説がある。 「国際紛争を解決する手段としては」の文言は、「国権の発動たる戦争」、「武力の行使」、「武力による威嚇」のすべてにかかるとする説 「国際紛争を解決する手段としては」の文言は「武力による威嚇又は武力の行使」の部分だけでなく「国権の発動たる戦争」の部分にもかかると解釈するのが通説である。 そして、「国際紛争を解決する手段としては」の文言の意味をどう捉えるかという点をめぐって、さらに以下のように細分される。およそすべての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされるのであるから、この文言はなんらの留保たり得ず、第1項ですべての戦争を禁じているとする説(峻別不能説=一項全面放棄説) この見解は憲法9条第2項を待たずに第1項ですべての戦争が放棄されているとみる説である(本説で説かれる根拠や本説に対する批判については次節参照)。 不戦条約1条や国際連合憲章2条3項などでの国際法上の用例に従った解釈をすべきであるとして、第1項の「国際紛争を解決する手段としては」とは侵略戦争の放棄を意味しているとする説(広義の限定放棄説=一項における限定放棄説) この見解は第2項前段の「前項の目的を達するため」の解釈によって、さらに第2項によってすべての戦争が放棄されているとみる遂行不能説(二項全面放棄説)と第2項においても自衛戦争は放棄されていないとみる限定放棄説(狭義の限定放棄説)に分かれる(各説で説かれる根拠や各説に対する批判については次節参照)。 制定時の英文の9条1項をもとに、「国際紛争を解決する手段としては」の条件の文言は「武力による威嚇又は武力の行使」の部分にのみかかると解釈し、自衛のための武力の行使は許容されているとみる説 この見解は第1項の「国権の発動たる戦争」の手段が第2項の「戦力」であるとみて両者を結びつけて解釈し、憲法9条2項で全面的に放棄されたのは「国権の発動たる戦争」を遂行するための「戦力」であり、自衛戦争を含むすべての戦争と国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇及び武力の行使は否定されているが、外国軍隊の不法な侵入を排除するための武力による自衛権の行使は許容されており、そのための「武力」は保持しうると解釈する(非戦力的武力合憲説)。 この見解に対しては憲法制定過程(3月2日案)において二つの文が一つの文にまとめられた結果、最終的な日本語の正文では「国際紛争を解決する手段としては」の文言が「武力による威嚇又は武力の行使」の部分だけでなく「国権の発動たる戦争」の部分にもかかる表現になっているとの批判がある。 なお、前述されているように、この見解は「戦力」と「武力」は同義であるとする多数説の立場と異なり、「戦力」と「武力」とは異なる性質のものであるという解釈をとるが、このような解釈をとるとき「戦力なき武力」というものをどのように捉えるかという問題を生じるといわれる。
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