「土に親しむ教育」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 20:05 UTC 版)
「学校法人大和学園 (神奈川県)」の記事における「「土に親しむ教育」」の解説
創立者の伊東静江は、土に親しみ自然に触れる中で、神の摂理を識ることができると考えた。こうした創立者の信念のため、学園には農業と深く関わっていた歴史がある。 戦時下の1945年(昭和20年)3月には、「食料増産のための専門的な農業教育」のため、大和女子農芸専門学校が設立された。女子の農芸学校は珍しい(高等農林学校参照。本校含め3校)。第二次世界大戦後には大和農芸家政短期大学に改組された。 大和農芸家政短期大学に置かれた農芸家政科は、女子の農業専門機関としての教育を行っていた。1962年(昭和37年)には、産業開発青年隊の活躍により、女子の海外移住希望者が増えたのに対応するためとして大和女子海外拓殖学校を設立し、短大に付設した。1963年(昭和38年)には短大に農芸栄養科が新設された。こうした農業にこだわる姿勢は、伊東静江を顕彰する立場の『ただ信頼あるのみ 創立者モニカ伊東静江先生の足跡』においても、高度経済成長により工業化・都市化する社会に逆行して学園が「衰退の道を辿ってしまった」と記す(一方で、「神を愛し、土に親しむ教育こそ真の教育」という信念が揺るがなかった証であり、「静江の真骨頂」とも評価している)。 短大は、1967年(昭和42年)に「保育科」が新設される一方で、入学希望者が年々減少した農芸家政科・農芸栄養科はのちに廃止された。1973年(昭和48年)、大和学園女子短期大学への改称によって学校名から「農芸家政」が消滅する。
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