「土佐号」の製作
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高知自工がスクラップの寄せ集めのような最初の自作三輪トラックを完成させたのは、1948年1月25日で、車名は地元の旧国名(土佐国)にちなんで「土佐号」と名付けられた。 高知自工が最初の土佐号のベースにした車種は定かではなく、搭載したエンジンも中古ガソリンエンジンであることしかわからないが、わずか1枚だけ残された側面写真を見るに、後輪をダブルタイヤとした四輪トラックシャーシの改造であることは明らかである。シャーシ先端に旧型オート三輪などと類似したボトムリンク支持の前1輪を接合し、ボンネットを失ったことで置き場所をなくしたエンジンは、プロペラシャフト回りを加工することで運転台位置まで後退させた。更にこの最初の土佐号は木炭自動車で、運転台助手席側側面にガス発生炉を取り付けていた。 一般のオート三輪のハンドルは1940年代後期、まだ直接操向のバーハンドルであったが、初期の土佐号もやはりバーハンドルであった。荷重は2~4トンと称されていたが、まだこの当時は大手メーカーの製品のように「根拠ある精密な計算で許容荷重を測定していた」わけではなく、ベースとなるシャーシのクラスで適当に決めていたようである。それにしても一般のオート三輪のほとんどが1000cc級以下の単気筒・2気筒の自然空冷エンジンを搭載し、公称750kg~1トン積みであった時代に、3000cc超クラスの4気筒ないし6気筒水冷エンジンを積んで作られたのであるから、凄まじい規格外というべき三輪トラックであった。 高知自工はこの改造車としての「土佐号」を1951年までに20台ほど製作したという。エンジンは、フォード、シボレー、トヨタなど、3000cc超のガソリンエンジンで手に入る適当な中古をオーバーホールして搭載し、シャーシもまた中古品の改造に終始した。 興味深いことに、同じく高知に所在した野村興業と寺石自動車工業所も、高知自工を真似た改造大型三輪トラックを作るようになり、しかもその後発2社の製品もやはり「土佐号」の名で販売されたという。「日刊自動車新聞」四国版の1953年1月1日号によれば、高知自工、野村興業、寺石自動車の3社は「改造三輪車土佐号製作組合」なる団体を結成しており、並行してそれぞれが大型三輪トラックの改造製作を行い、いずれも「土佐号」の名で販売していた。後年から見ると農産物の地域ブランドのごとき生産・販売が行われていたのである。
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