「予言の子」ヘンリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:50 UTC 版)
現代の創作ではアーサー王の影に隠れて余り目立たないが、ルネサンス期には、最後のブリテン王キャドワラダーの再来を予言した魔術師としても重要であった。『ブリタニア列王史』によれば、最後の正統なブリテン王キャドワラダーは、戦乱や飢餓、疫病を避けて大陸に渡り、ブルターニュ王の客将となった。数年して落ち着くと、キャドワラダーは艦隊を率いてブリテンに戻ろうとするが、遠征直前に夢のお告げがあり、『マーリンの予言』が成就するその時までブリトン人はブリテンを取り戻すことは決してないという。その代わり、ローマに巡礼して教皇セルギウス1世に拝謁すべきこと、キャドワラダーはローマで客死し聖人となるであろうこと、そしていつの日かブリトン人がキリスト教への信仰心を取り戻し、『マーリンの予言』が成就され、キャドワラダーの聖遺物がローマからブリテンに戻るとき、ブリトン人が再びブリテンを支配することを告げる。このキャドワラダーのモデルは7世紀のグウィネズ王カドワラドル・アプ・カドワスロンと思われるが、カドワラドルは疫病によりグヴィネズ国内で病死しており、ローマ巡礼の話は同年代のウェセックス王キャドワラとの混同もあると思われる[要出典]。 15世紀薔薇戦争末期、暗殺を避けてブルターニュに匿われていたヘンリー・テューダーは、赤薔薇をシンボルとするランカスター家の生き残りの最年長ではあったが、血筋としては傍系を女系で引くというだけであるから、王位への正統性はやや疑問視されていた。ところが、ヘンリーの父方であるテューダー家はウェールズ系の新興貴族であったものの、奇しくもキャドワラダーのモデルの一人であるカドワラドル・アプ・カドワスロンの末裔であった。そこでヘンリーが眼を付けたのが『ブリタニア列王史』中の『マーリンの予言』である。赤薔薇の旗頭であり、キャドワラダーの子孫である彼にとっては、白薔薇をシンボルとするヨーク家との決戦に向けて、「キャドワラダーの再来たる『赤い』竜がいつか大陸から舞い戻り、『白い』竜からブリテンを解放する」という『予言』は(それがジェフリーの創作であるにせよ)まさに都合の良いものだった。 彼はウェールズ系貴族の助力を得るために、35人以上もの詩人たちに自分が「予言の子」(ウェールズ語: mab darogan)であることを謳わせ、リチャード3世との決戦ボズワースの戦いでは「赤い竜」を軍旗として使用した。この作戦は功を奏してヘンリーは多くのウェールズの兵を集めることができ、リチャード3世が王自ら突撃して旗手ウィリアム・ブランドン(英語版)卿を殺した時にも、ウェールズ系貴族のリース・アプ・マレディズ(英語版)がすぐさま代理旗手となり赤い竜の旗を戦闘終了まで死守したという。 リチャード3世に勝利しヘンリー7世として即位した王は、治世下の初期、ウスターの野外劇で『予言』の申し子として称えられた。 Cadwaladr's blood lineally descending,Long hath been told of such a prince coming,Wherefore friends, if that I shall not lie,The same is the fullfiller of the Prophecy. キャドワラダーの血の直系、その様な君子が再来すると古く伝わる。それゆえ友よ、嘘は付かぬぞ、まさにその御方こそ、かの予言を体現する者。 ヘンリー7世は実利以上に自らが「予言の子」たることに陶酔していたと言われ、政務で気がめいった時にはよくウェールズの詩人に歌わせて気晴らししていたという。正妃エリザベスも遠くウェールズ王家の血を引き、二人が夭折した長男に付けた名はアーサーである。ヘンリー7世は「キャドワラダーの赤い竜」を自らの紋章に刻み、その後この竜はウェールズに逆輸入されて、現在では「カドワラドルの赤い竜」としてウェールズのシンボルになっている。
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