孔子 孔子の概要

孔子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/27 07:25 UTC 版)

孔 子
生誕 紀元前552年または紀元前551年
死没 紀元前479年
時代 中国・春秋時代
学派 儒教
主な概念 仁、君子
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孔子
各種表記
繁体字 孔子
簡体字 孔子
拼音 Kǒngzǐ
注音符号 ㄎㄨㄥˇㄗˇ
ラテン字 K'ung3-tzu3
発音: コンツー
広東語拼音 Hung2-zi2
台湾語白話字 Khóng-tsú
日本語読み: こうし
英文 Confucius
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孔夫子の像

有力な諸侯国が領域国家の形成へと向かい、人口の流動化と実力主義が横行して旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった末、国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子の死後約400年かけて孔子の教えをまとめ、弟子達が編纂したのが『論語』である[3]

約3000人の弟子がおり、特に「身の六芸に通じる者」として七十子がいた[4]。そのうち特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれ、その才能ごとに四科に分けられている(そのため、四科十哲とも呼ばれる)。すなわち、徳行(論語古義によると徳行は、言語・政事・文学の三者を兼ねる)に顔回閔子騫冉伯牛仲弓、言語に宰我子貢、政事に冉有子路、文学(学問のこと)に子游子夏である(その中でも子路と孔子のやり取りが論語のなかでは1番多い)。その他、の実践で知られ、『孝経』の作者とされる曾参(曾子)がおり、その弟子には孔子の孫で『中庸』の作者とされる子思がいる。

孔子の死後、儒家は八派に分かれた。その中で孟軻(孟子)は性善説を唱え、孔子が最高の徳目としたに加え、実践が可能とされる徳目の思想を主張し、荀況(荀子)は性悪説を唱えて治主義を主張した。『』『』『』『』『』『春秋』といったの書物を六経として儒家の経典とし、その儒家的な解釈学の立場から『礼記』や『易伝』『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』といった注釈書や論文集であるが整理された(完成は漢代)。

孔子の死後、孟子荀子といった後継者を出したが、戦国から漢初期にかけてはあまり勢力が振るわなかった。しかし前漢後漢を通じた中で徐々に勢力を伸ばしていき、国教化された。以後、時代により高下はあるものの儒教は中国思想の根幹たる存在となった。

20世紀、1910年代の新文化運動では、民主主義科学を普及させる観点から、孔子および儒教への批判が雑誌『新青年』などで展開され、1949年に成立した中華人民共和国では、1960年代後半から1970年代前半の文化大革命において、毛沢東とその部下達は批林批孔運動という孔子と林彪を結びつけて批判する運動を展開[5]。孔子は封建主義を広めた中国史の悪人とされ、林彪はその教えを現代に復古させようと言う現代の悪人であるとされた。近年、中国では、中国共産党が新儒教主義また儒教社会主義を提唱し(儒教参照)、また、「孔子」がブランド名として活用されている(孔子鳥孔子学院を参照)。


注釈

  1. ^ 弟子が少正卯についた話は後漢王充論衡』講瑞篇に初めて見え、また孔子が少正卯を殺した話は『荀子』宥坐篇に初めて現れ、それ以前の文献には記さない。したがって、いずれも後世の創作の可能性がある。
  2. ^ 新書版とクーリルの著作以外は、初版単行本があり、和辻・貝塚・白川は著作集に所収。

出典

  1. ^ 孔子廟訴訟、2月判決 最高裁が政教分離判断へ”. 日本経済新聞 (2021年1月27日). 2021年2月6日閲覧。
  2. ^ 四聖(シショウ)とは”. コトバンク. 2020年6月14日閲覧。
  3. ^ 「論語」現存最古とみられる紙の写本見つかる 7日から公開”. NHKニュース (2020年10月7日). 2020年12月23日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ 史記』孔子世家
  5. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2215012 「再び脚光浴びる「孔子の教え」 - 中国」AFPBB 2007年04月22日 2015年11月2日閲覧
  6. ^ 「孔子 中国の知的源流」p21 蜂谷邦夫 講談社現代新書 1997年5月20日第1刷
  7. ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,42-3頁
  8. ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,43頁
  9. ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,57頁
  10. ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,51頁
  11. ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,52頁
  12. ^ 論語』子罕編。貝塚、62頁。
  13. ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,66頁
  14. ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年
  15. ^ 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年
  16. ^ a b 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年
  17. ^ 「家語」
  18. ^ 『孟子』『史記』
  19. ^ 「図説孔子 生涯と思想」p275 孔祥林著 浅野裕一監修 三浦吉明訳 科学出版社東京発行 国書刊行会 2014年12月22日初版第1刷
  20. ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,146頁
  21. ^ 「図説孔子 生涯と思想」p30 孔祥林著 浅野裕一監修 三浦吉明訳 科学出版社東京発行 国書刊行会 2014年12月22日初版第1刷
  22. ^ 「図説孔子 生涯と思想」p276 孔祥林著 浅野裕一監修 三浦吉明訳 科学出版社東京発行 国書刊行会 2014年12月22日初版第1刷
  23. ^ 論語』陽貨第十七
  24. ^ 『史記』孔子世家
  25. ^ a b 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,171頁
  26. ^ 『史記』孔子世家、左伝
  27. ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,173頁
  28. ^ 「孔子 中国の知的源流」p45-46 蜂谷邦夫 講談社現代新書 1997年5月20日第1刷
  29. ^ a b c d e f 柄谷行人『普遍宗教は甦る』文藝春秋〈文藝春秋special 10(1)〉、2016年、131-140頁。 
  30. ^ 吉田亮太『春秋戦国政治外交史』三恵社、2014年、P58-61
  31. ^ ※この一覧表は、江連隆『論語と孔子の事典』(大修館書店、1996年)を参照し作成
  32. ^ 論語:郷党第十八
  33. ^ http://www.cnta-osaka.jp/heritage/temple-and-cemetery-of-confucius_and-the-kong-family-mansion-in-qufu 「曲阜の孔廟、孔林、孔府」中国国家観光局大阪駐在事務所 2015年11月2日閲覧
  34. ^ 小学館編『地球紀行 世界遺産の旅』p186 小学館<GREEN Mook>1999.10、ISBN 4-09-102051-8
  35. ^ “공 孔”. 斗山世界大百科事典. https://www.doopedia.co.kr/doopedia/master/master.do?_method=view&MAS_IDX=101013000694275 2022年11月17日閲覧。 
  36. ^ 孔子の子孫200万人超に、「孔子家系図」9月に出版―中国、エキサイトニュース、2009年1月3日。
  37. ^ a b 孔子の子孫は200万人…家系図の大改訂で女性含め認定、サーチナ、2009年9月24日。
  38. ^ 孔子の家系図改訂、子孫は200万人を超える、AFP BB News、2008年2月18日。
  39. ^ 津曲 2013, p. 1156.






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