和田誠 和田誠の概要

和田誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 14:22 UTC 版)

わだ まこと
和田 誠
誠文堂新光社『アイデア=Idea』第13巻第75号(1966)より
生年月日 (1936-04-10) 1936年4月10日
没年月日 (2019-10-07) 2019年10月7日(83歳没)
出生地 日本大阪府大阪市
死没地 日本東京都
民族 日本人
職業 イラストレーター
エッセイスト
映画監督
ジャンル 映画
活動期間 1959年 - 2019年
配偶者 平野レミ
著名な家族 和田精(父)
平野威馬雄(義父)
山本紫朗(伯父)
和田唱(長男)
上野樹里(長男の妻)
和田明日香(次男の妻)
 
受賞
ブルーリボン賞
その他の賞
キネマ旬報ベスト・テン
特別賞
2020年
毎日映画コンクール
大藤信郎賞
1965年『殺人 MURDER』
ヨコハマ映画祭
作品賞
1985年麻雀放浪記
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家族

実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精[1]日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる[2]

妻は料理愛好家・シャンソン歌手平野レミ。長男はロックバンドTRICERATOPS和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター[3]。率の妻は和田明日香

人物

父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市東住吉区で生まれる[4]1943年昭和18年)大阪市住吉区長池国民学校(現・大阪市立長池小学校に入学[1]1945年昭和20年)、精の失職に伴い3月に一家で精の実家である東京都世田谷区代田に転居。しかし、家族と一人離れて疎開した千葉県で敗戦を迎える。

東京へ戻り世田谷区立代沢小学校3年次に転入し、世田谷区立富士中学校[1]東京都立千歳高等学校[1](現・東京都立芦花高等学校)、多摩美術大学図案(現・デザイン)科を卒業[1][5]。『グレン・ミラー物語』(1954年)を観て、ジェームズ・ステュアートに似顔絵付きのファンレターを出して、返事で絵を褒められたのが絵を職業にしようと決心した理由の一つだという[6]

1959年(昭和34年)に広告制作プロダクションライトパブリシティデザイナーとして入社し、同年、日本専売公社が発売予定の新商品の紙巻きたばこハイライト」のパッケージデザインコンペに参加し、24歳の若さで勝ち抜き採用される[7]。同製品のデザインは、1964年開業の東海道新幹線の車体の色を決めるときに配色の参考にされた[7][8]

他にも自社のライトパブリシティ及び、社会党ロゴマークを手掛け[8]キヤノン東レといった国内有数の企業の広告デザインを長らく担当した後、1968年(昭和43年)退社。

1964年に灘本唯人宇野亞喜良山口はるみ横尾忠則らと東京イラストレーターズ・クラブを結成[1](70年解散)。

1972年、出会って10日で平野レミと結婚[9][10]シャンソン歌手としてテレビで歌うレミを見て、ひと目惚れしたのが始まり。当時レミとラジオ番組で共演していた友人の久米宏に紹介を頼んだところ、久米は「レミさんだけはやめた方がいいと思いますよ」と返したという[11][10]。1975年に長男・唱[10]、1979年に次男・率が誕生[10]。1978年には渋谷区に事務所、自宅を構えた[1][12]

1965年から1995年、矢崎泰久から声をかけられ、雑誌『話の特集』の創刊にかかわり、1995年の休刊までアート・ディレクターをつとめた[1][13]

退社後はフリーランスとなり、「週刊文春」の表紙や星新一著作の挿絵などを手掛ける。他、星新一丸谷才一の一連の作品や村上春樹の『アフターダーク』、三谷幸喜阿川佐和子作品を始め、数多くの装丁を担当する(この縁もあり、阿川や三谷とは交流があった)。

イラストレーターとしての仕事が知られる一方、『窓ぎわのトットちゃん』など、自身のイラストを用いないデザインも見られる(この縁から黒柳徹子とは交流があり、なかなかテレビ番組に出演しなかったが『徹子の部屋』には出演している)。

通常、書籍のバーコードは裏表紙のカバーに直接印刷されるが、これを嫌い、ISBNの数字のみが表示されたデザインを採り入れている[8]。結果、バーコードはに印刷されることが多い[8]

映画にも造詣が深く、1984年に角川映画として初監督作品である真田広之主演『麻雀放浪記』を手掛け、小泉今日子主演の『快盗ルビイ』など数作品でメガホンをとった。ちなみに、他分野出身の監督が第一、二作連続でキネマ旬報ベストテン入りを果たしたのは唯一である。監督業以外にも『お楽しみはこれからだ』等、映画がテーマのエッセイ集を出している。

1992年、伯父の山本紫朗に国内レビューの黄金時代を取材した内容をまとめた著書『ビギン・ザ・ビギン』をモチーフに、『日劇物語』を映画化する話がもち上がった。脚本を手掛け、クランク・イン寸前まで進んだが、資金不足のため撮影は中止された[14]

アニメーション作家としての実績もあり、1960年(昭和35年)に久里洋二柳原良平真鍋博が「アニメーション三人の会」を結成し、草月ホールで定期的に上映会を行っていた際に、横尾忠則手塚治虫等と共に参加し、個人制作の作品を発表した。1961年(昭和36年)NHKで放送開始の『みんなのうた』に参加し、初のアニメーション作品『誰も知らない』『ビビディ・バビディ・ブー』『ねこふんじゃった』を始め、他9曲の映像を製作した[1]。また、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』のオープニングタイトルを手掛けている[1]

2019年10月7日、東京都内の病院にて肺炎のため死去[15]。83歳没。

2020年3月、母校である多摩美術大学に約5万点の資料および作品が寄贈されたことを大学が公表[16][17]。アーカイヴ展示が行われている[18]

2021年12月17日、渋谷区立中央図書館に自著や装丁を手掛けた本、蔵書や本棚、打ち合わせに使用されたテーブルや椅子などが寄贈され、図書館4階に「和田誠記念文庫」が開設された[19][12]

2022年4月、ジャズなどのレコード365枚が、生前親交のあった作家の村上春樹の関連資料を収蔵する早稲田大学国際文学館村上春樹ライブラリー)に寄贈された[20]

名言

  • 「人生の博打でいうと、イラストレーターという職業を選んだことかな?当時はまだそういう言葉はなかったけどね。」

  1. ^ a b c d e f g h i j k 和田誠プロフィール - 渋谷区立図書館”. www.lib.city.shibuya.tokyo.jp. 2023年12月20日閲覧。
  2. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年8月9日). “【ノンフィクションで振り返る戦後史】「人気」をめぐる「回り舞台」をしみじみ感じる劇場史 「ビギン・ザ・ビギン―日本ショウビジネス楽屋口―」和田誠著・文藝春秋(1/2ページ)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2023年12月20日閲覧。
  3. ^ https://remy.jp/abouts/
  4. ^ 「プロフィルには大阪生まれと書きますので、雑誌の大阪人特集などで取材の依頼を受けることがありますが、たまたま父親の都合で大阪で生まれただけで、親戚もいないし、大阪人という意識はないんです。と言って東京人でもないし、郷土意識が何もありません」と当人は発言している。(『似顔絵物語』p.14)
  5. ^ 多摩美術大学アートアーカイヴセンター”. aac.tamabi.ac.jp. 2023年12月20日閲覧。
  6. ^ 『ジェイムズ・スチュアート&和田誠」(和田誠『ぼくが映画ファンだった頃』七つ森書館 2015年pp.218-228)。
  7. ^ a b ダリから剣持勇まで! 有名ロゴ&パッケージを手掛けたクリエイター”. ELLE (2022年4月18日). 2023年12月20日閲覧。
  8. ^ a b c d 和田誠さん”. 加藤屋のメモと写真 (2019年11月27日). 2023年12月20日閲覧。
  9. ^ NHK. “平野レミ|人物|NHKアーカイブス”. 平野レミ|人物|NHKアーカイブス. 2023年12月20日閲覧。
  10. ^ a b c d 平野レミ、最愛の夫・和田誠さんを亡くした“抜け殻の日々”を支えた「家族の味」(2ページ目)”. 週刊女性PRIME (2017年10月17日). 2023年12月20日閲覧。
  11. ^ 久米宏『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』世界文化社、2017年。ISBN 978-4418175062 
  12. ^ a b 渋谷区立中央図書館に「和田誠記念文庫」 自著など3700冊、書棚など寄贈受け”. シブヤ経済新聞. 2023年12月20日閲覧。
  13. ^ <書評>『夢の砦(とりで) 二人でつくった雑誌「話の特集」』矢崎泰久、和田誠 著:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2023年12月20日閲覧。
  14. ^ 『怖がる人々を作った人々』(文藝春秋)のプロローグに記載あり。
  15. ^ “イラストレーター 和田誠さん死去”. NHK NEWS WEB (NHK). (2019年10月11日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191011/k10012123151000.html 2019年10月11日閲覧。 
  16. ^ 多摩美術大学アートアーカイヴセンター”. aac.tamabi.ac.jp. 2023年12月20日閲覧。
  17. ^ 和田誠資料寄贈余話|ARTICLES|The Graphic Design Review”. The Graphic Design Review. 2023年12月20日閲覧。
  18. ^ 和田誠展ほか今秋開催される3つの展覧会に本学所蔵資料を貸出 | 多摩美術大学 アクティビティニュース” (jp). activity.tamabi.ac.jp. 2023年12月20日閲覧。
  19. ^ 和田誠記念文庫 お知らせ”. 渋谷区立中央図書館. 2022年1月10日閲覧。
  20. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2022年4月16日). “和田誠さんのレコード、村上春樹ライブラリー寄贈”. 産経ニュース. 2023年12月20日閲覧。
  21. ^ 和田誠『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1047 サン・データ・システム 1980年
  22. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  23. ^ 矢崎泰久『編集後記』(話の特集)P.42
  24. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  25. ^ 文春文庫『銀座界隈ドキドキの日々』和田誠 | 文庫”. 文藝春秋BOOKS. 2023年12月20日閲覧。
  26. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  27. ^ 読売人物データベース
  28. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  29. ^ どんなかんじかなあ|中山千夏の絵本|絵本・児童書|自由国民社”. www.jiyu.co.jp. 2023年12月20日閲覧。
  30. ^ 中山千夏さんの絵本「どんなかんじかなあ」 障がい者と「共に生きる」ことが大事|好書好日”. 好書好日. 2023年12月20日閲覧。
  31. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  32. ^ 読売人物データベース
  33. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  34. ^ 2019年 第93回「キネマ旬報ベスト・テン」全作品公開!”. キネマ旬報WEB. 2023年12月20日閲覧。
  35. ^ 12年振りの翻訳出版となった3作目の『我輩はカモじゃない』では訳者が田口俊樹に代わり、解説と挿絵を担当。この経緯について解説の中で「カミンスキーは次々書いていたのだが、翻訳を約束していた私がサボっていたのである。(中略)わたしは絵と解説という形で辛うじてシリーズに踏みとどまらせてもらった。」とある。


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