平野 レミ
芸名 | 平野 レミ |
芸名フリガナ | ひらの れみ |
性別 | 女性 |
血液型 | O |
出身地 | 東京都 |
URL | https://remy.jp/index.php |
プロフィール | 料理愛好家・シャンソン歌手。主婦として家庭料理を作り続けた経験を活かし、「料理愛好家」として活躍。“シェフ料理”ではなく、“シュフ料理”をモットーに、テレビ、雑誌などを通して、数々のアイデア料理を発信。また、講演会、エッセイを通して、明るく元気なライフスタイルを提案するほか、特産物を使った料理で全国の村おこしなどにも参加し、好評を得る。主な出演番組・作品は、テレビ/日本テレビ『メレンゲの気持ち』、テレビ朝日『裸の少年』、TBS『はなまるマーケット』、雑誌『レタスクラブ』『オレンジページ』『クロワッサン』、CF『カルピス「アミールS」』『日本ケロッグ「コーンフレーク」』、著書『平野レミのレミパンクッキング!』『笑顔がごちそう』『笑ってお料理』『エプロン手帖』、CD『きかせてよ~シャンソン・ド・レミ』、講演『ワンダフル人生』『胸にはエプロン、口にはシャンソン』など他多数。 |
代表作品1 | KBC『「アサデス!」平野レミのデリバリキッチン』 |
代表作品2 | CF『サンヨー食品「サッポロ一番」』 |
代表作品3 | 著書『平野レミのなんたって、うちのご飯がいちばん!』 |
職種 | 文化人/音楽/俳優・女優・タレント |
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平野レミ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 04:25 UTC 版)
平野 レミ(ひらの れみ 1947年〈昭和22年〉3月21日[2] - )は、日本の料理愛好家、タレント、シャンソン歌手。本名は和田 レミ(わだ れみ)。旧姓は平野。
注訳
- ^ 東京や関東近県の主にスーパーマーケット等の店頭等から公開生放送する番組コーナー。
- ^ 本人は「料理は研究するものではない」と述べたことがあった。
- ^ コーナーアシスタントの人選をする際、番組ディレクターが新人宣伝書の辺見の写真を見て「この可愛い子使おうよ」と考えた。本来、辺見と契約するつもりだったが、ディレクターは写真の下の「平野レミ」という名前を誤記とは知らず、出演を依頼した。後日平野と初対面したことで人違いに気づいたが、そのまま契約することにしたという[7][6]。
- ^ TBSラジオカー(中継車)と同行した車両に搭載し、スピーカ部分には放送用のマイクを設置したジュークボックスから、番組側が選んだ「曲番号」で掛かる曲について、男性歌手or女性歌手のどちらが来るかを当てるゲーム。
- ^ 久米は「とんでもないやつと組まされてしまった」と笑いながら述懐している。
- ^ なお、久米の回想によれば、正確には「あの人は絶対やめたほうがいいです。人生を棒に振りますよ」だったという。誹謗中傷したわけではなく、普段の仕事で自由奔放ぶりに振り回されて散々苦労した経験から、紹介したことで一生恨まれることを怖れたための発言であった。
- ^ 具体的には、食事の後和田に誘われて自宅に訪れた所、本棚にあった分厚い本について「どんな本ですか?」と尋ねた。ホラーテイストの本『血の晩餐』だったことがきっかけで和田から沢山の怖い話を聞き、面白かったためそのまま4日ほど通った[6]。
- ^ 本人によると、母は「和田さんは素晴らしい人だから絶対逃しちゃいけない。レミが飽きる前にすぐに嫁に行かせないと」と思ったという。
- ^ 母は「10ヶ月も待たせるのはかわいそう」との思いから、翌朝平野に「(和田の自宅に)今日行きなさい。私がお父さんに上手に言うから」と告げたとのこと[6]。
- ^ ある日帰宅した和田のジャンパーに長い髪の毛が付いているのを見つけ、浮気を疑い「なにこれ?別れよう!」と言ったことがあった。しかし、当時和田は映画『麻雀放浪記』の撮影期間中で、出演女優の髪の毛がたまたま付いただけだったらしく、夫にすごく怒られてしまった[6]。
- ^ 本人によると、「和田さんは何曜日に何のゴミを出すのか全て把握してたの。私が時々ゴミをごちゃまぜにしちゃうと、『これはこっちに入れないと』ってブツブツ言いながらお巡りさんみたいに仕分けしてた。それでも和田さんは、絶対怒んなかったね」とのこと[6]。
- ^ また本人は、「食洗機を買った時、和田さんに『食洗機買ったから手が綺麗になっちゃった』と言ったら、『それは俺が言う言葉だよ』って言われちゃった」と述懐している[6]。
- ^ 本人は、「自分でもなんでだか分かんないけど、ずっとそう思ってたの。だから家で知らないパンツを見つけても“和田さんのものかも”という考えは浮かばなかった」と回想している[6]。
- ^ 続けて、「でもさ、今度は私が(和田より)先に死ぬの。この苦しさ、寂しさ、悲しさを味わわせるの」と夫に先立たれた悲しい気持ちを吐露している[6]。
- ^ のち、歳月を経て、この料理は『ごごナマ』で調理法も当時のままに再度紹介されている。
- ^ 例として、「平野レミのオールスターレシピ」の表紙の「トンカツオ」のレシピがある。本人によると、トンカツとカツオの名前を合体させたら面白いなとふと思ったことが発端となり、そこから「トンカツオ」のレシピを考案したとのこと。また、これまで出した料理本のレシピには、夫・和田が名付けた料理もいくつかあるとのこと[6]。
- ^ 自宅に遊びに来た渥美から桐箱入のメロンを2つもらったが、その時メロン嫌いであるとは言えなかった。表向き「ありがとう」と喜んで受け取ったが、食べられないため知人に譲った。そのことを忘れた頃に渥美が再びやって来た際、たまたま別の人からもらっていたメロンを出したが「僕はいいからレミちゃん食べて」と言われた。そのままお互い譲り合って押し問答となったため、つい上記の「メロンを食べるんだったら…」の言葉を言ってしまった。だが渥美の帰宅後、先日の彼からメロンをもらって表向き喜んだことを思い出した。一週間後、再びやってきた渥美に謝罪しようと「あの…」と言いかけた所、「ウンコのこと?あんなこと忘れてたよ」と言われ、大恥をかいたという[6]。
出典
- ^ タレントデータバンク. “プロフィール詳細”. 2015年9月9日閲覧。
- ^ 『'74 日本タレント名鑑』1974年7月1日発行、VIPタイムス社。223頁。
- ^ 平野レミ『愛のオーロラ』(北欧社、1973年)
- ^ 『文藝春秋』1974年11月号、87頁。(平野レミ「私の曲がり角」『文藝春秋』1974年11月号、86-88頁。)
- ^ a b “平野レミ料理番組デビューは抗議殺到だった”. 日刊スポーツ新聞社. (2014年10月28日). オリジナルの2014年10月28日時点におけるアーカイブ。 2014年10月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 週刊文春2022年11月24日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」第1419回・平野レミp116-121
- ^ 平野レミ『ド・レミの歌』(中公文庫、1984年)
- ^ 『ド・レミの歌』巻末収録の黒柳徹子「レミちゃんのこと」より。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(世界文化社、2017年)p.58
- ^ 『語る-人生の贈りもの-』「トマトうどん」で楽しさ知った(朝日新聞朝刊、2021年4月6日)
- ^ “和田明日香、感謝「家族に私の料理を育ててもらった」義母・平野レミとの受賞には「誰かが何かを…」”. スポーツ報知. (2022年9月6日) 2023年1月3日閲覧。
- ^ 清水ミチコ 平野レミの暴走ぶりに「素晴らしい人材」
- ^ だから私は平野レミ
- ^ レミパンプラス
- ^ わたしの和だし
- ^ zipron
- ^ iOS版/Android版
- ^ 鹿児島の皆様へ☆ - Yukari の☆SMILE SWEET☆ 2011年9月6日
- ^ “ミニドラマ仕立てでNHK受信料制度をPR 黒島結菜らが出演”. ORICON (2015年8月25日). 2015年8月25日閲覧。
- ^ 『平野レミとDJ KOOの「料理はイマジネーション!」』
- ^ 『平野レミの神ワザ!1分クッキング? ぶっさしグラチー篇』
- ^ “『U-NEXT presents あと3回、君に会える』山本美月&平野レミ出演、U-NEXTインフォマーシャル放送決定!”. U-NEXT. (2020年3月24日) 2020年4月4日閲覧。
- ^ “「料理は“愛”。」平野レミ作詞で話題のクマリデパート新曲MV公開”. OTOTOY (2022年5月7日). 2023年9月21日閲覧。
- ^ わたしの和だし
- ^ 平野レミのしあわせレシピ
- ^ 平野レミと明日香の「嫁姑ごはん物語」
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