リュブリャナ 概要

リュブリャナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 02:03 UTC 版)

概要

スロベニアでは国際関係の中心地である[5][6]。スロベニア中央部のリュブリャナ低地に位置し、人口は280,278人で首都として特別市としての地位が与えられている[6]。地理的に交差路であることから、スラヴ世界と共にゲルマンラテン文化など様々な要素が歴史を通じて影響を与えている。数世紀来、リュブリャナは歴史的な地域であるクラニスカ地方の首都で[7]十日間戦争を経てユーゴスラヴィア連邦からスロベニアが1991年に独立して以来、文化、教育、経済、政治、行政の中心となっており、交通や産業が集中、科学機関や調査研究機関が立地している。

都市名とシンボル

元々の町の名前は分かっていない。最も有力だと思われているものには市内を流れるリュブリャニツァ川にちなみ名付けられたというものである。言語学者のシルヴォ・トルカル(Silvo Torkar)が支持する仮説では、リュブリャニツァ(Ljubljanica)の古いスラヴ語の名称であるリュボヴィド(Ljubovid)に由来するというものである[8]

ロベルト・ヴルチョン(Robert Vrčon)は、リュブリャニツァはラテン語のアッルヴィアーナ(alluviana)から転じたとし[9]、それ自体はエルヴィオ(eluvio)から来ており、洪水氾濫を意味する語である。

中世において、町と川両方の名称は「ライバッハ」(古いドイツ語で「流れない水は洪水を起こす」の意味)が、1918年まで公式に使われていた[10]。スロベニアなどバルカン半島北西部を支配していたオーストリア=ハンガリー帝国ハプスブルク帝国)は同年、第一次世界大戦に敗れて崩壊し、ユーゴスラヴィアの前身であるスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国が建国された。

幅広く知られる民間語源では。伝統的にスロベニア語で「最愛の」を意味する'ljubljena'と結びつけられる。この考えは1825年キリスト教司祭で、言語学者でもあり新しいスロベニア語の語法を提案したフランク・メテルコを含む初期の学者により受け入れら、現代の言語学者の間でも広く一致を見ている。[9]

町のシンボルはリュブリャナドラゴンで、ドラゴン(竜)は力や勇気、大きさの象徴である。ドラゴンはリュブリャナの紋章に描かれたリュブリャナ城の塔の最上部とリュブリャニツァ川に架かる竜の橋(Zmajski most)に描写されている。竜の橋はしばしば、ウィーン分離派が生み出した橋の中では最も美しい橋と見なされている[11]

リュブリャナドラゴンの起源に関してはいくつかの説がある。有名なギリシア神話によれば金羊毛を取って帰ったアルゴナウタイは今日のリュブリャナとヴルフニカの間で湿地に囲まれた大きな湖を発見した。イアーソーンが怪物を襲ったのはその湖で、この怪物はドラゴンになり、ドラゴンは今日のリュブリャナの紋章と市旗になっている[12]。歴史的により信憑性があるものには、15世紀にリュブリャナ城の教会が建てられた15世紀にゲオルギオス守護聖人になったことである。ゲオルギオスの伝説ではドラゴンはキリスト教によって圧倒された古いペイガニズムの象徴である。他の説ではドラゴンは最初は紋章を飾る唯一の装飾であったと言うものである。バロックが紋章の一部となり、20世紀に塔や他の要素を凌駕するようになってきた。

歴史

18世紀のリュブリャナ
1821年のライバッハ会議を祝う催し
1895年の震災で被災して復旧中の建物

先史時代から古代まで

紀元前2000年頃にリュブリャナ近郊の湿地帯には人が高床建物に暮らしていた。今日でも考古学的遺物がイグに残されており、アルプスに連なる6か国にまたがる「アルプス周辺の先史時代の住居」の一部として2011年6月からユネスコ世界遺産に登録されている[13]。湿地帯に住んでいた人々は狩猟や漁労、原始的な農業を通して生活の糧を得ていた。湖沼の移動には木の幹をくり抜いて作ったカヌーを使用していた。後にこの地域は様々な部族や人々の多くの生活の跡が残され、その中にはケルト人イリュリア人が混合したラピデスと呼ばれる人々や3世紀のケルト人の一部族タウリスキ族も含まれている[14]

紀元前50年にローマ人が後のエモナ(Aemona/Emona)となる軍の野営地を設置する[15]。要塞は強化され、ローマ軍団の 第十五アポロン軍(Legio XV Apollinaris)が使用した[16]。452年にアッティラの命令によりフン族により破壊され、その後は東ゴート族ランゴバルド人によって破壊されている[17]。エモナには5,000 - 6,000人の住民が居て、多くの戦いで重要な役割を果たした。住居はプラスターを塗った煉瓦の異なった色の家で既に下水設備につながれていた[15]

6世紀になるとスロベニア人の祖先のスラヴ人が移動して来るようになり、9世紀にはスロベニア人はフランク王国の支配下に入りマジャル人の襲撃を度々経験する[18]

中世から近世

長い間リュブリャナが最初に言及されたのは1144年であるとされていたが、しかしながら2002年に同様に古い『死者の名前』(Nomina defunctorum) と呼ばれる羊皮紙のシートが発見された。この羊皮紙はウーディネ大聖堂の公文書館に保存されている。記録は1112年-1125年となっており、貴族のRudolf of Tarcentoアクイレイアの総大司教が大砲とリュブリャナ城(castrum Leibach)のそばに20の農地を総司教に授けたことが言及されている[19][20][21]

リュブリャナの町が正確に町の地位を得た時期ははっきりとは分かっていないが[22]1220年より以前であった[23]。13世紀、町はスタリ・トルグ (Stari trg)、ノヴィ・トルグ(Novi trg)、メスト(Mesto、今日の聖ニコラヤ大聖堂周辺)という3つの地域で構成されていた[22]。最初の記録では1200年頃に市場を保持する権利を有していたと考えられるが、最も古い前記の3地区が必ずしも含まれていた訳ではない[22] 当時のリュブリャナ城領主はシュプンハイム家であったが、周辺の土地や屋敷は他の貴族たちのものであった[20][22]

1270年、カルニオラとリュブリャナはオタカル2世により征服された[18]。オタカル2世がルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)に敗北すると、ルドルフ1世が町を1278年手に入れた[18]。ルドルフの誓約によりリュブリャナは1279年 - 1335年の間ゴリツィア伯国の支配下にあり、その後は再びハプスブルク家の支配下となり[22]、ライバッハ (Laibach)と改名され1797年までハプスブルク家に属していた[17]。1461年にカトリック教会のリュブリャナ司教座が設けられ、聖ニコラヤ教会は大聖堂になった[18]

15世紀にリュブリャナは芸術で認められ、1511年の震災後にルネサンス様式で町は再建され新しい城壁がその周囲に築かれた[24]。16世紀、町の人口は5,000人を数え、70%の住民はスロベニア語第一言語とし、残りのほとんどはドイツ語が使われていた[24]。その直後にドイツで初めてスロベニア語で書かれた書物プリモシュ・トゥルバル (enPrimož Trubar)のカテキゼム  (enKatekizem)が出版され、教育者のアダム・ボホリッチ (enAdam Bohorič)は "Elementale Labacense oder Abecedarium der lateinischen, deutschen und slowenischen Sprache""Nomenclatura trium linguarum""Otroshia tabla"の3冊のスロベニア語で書かれた本を著し、ヤンシュ・マンデルツ( Janž Mandelc)により刷られている。この時点で町では宗教改革の基礎を得ている。ルーテル教会牧師はプリモシュ・トゥルーバーやアダム・ボホリッチ、ユーリィ・ダルマティンを含めリュブリャナに居住して布教を行っていた。スロベニア語の聖書が使われていたが、印刷はドイツのヴィッテンベルクで行われていた。同時期には最初の高校や公共図書館、印刷所がリュブリャナに開設されている[24]。1597年には町にイエズス会がやって来て、後にカレッジになる高校を設立している。17世紀後半にはバロック建築が現れ始め、外国の建築家や彫刻家がリュブリャナの町に訪れるようになった[24]

近代

ナポレオン・ボナパルトは1809年 - 1813年にフランス第一帝政イリュリア州の州都をリュブリャナに置いた[17][25]。1815年になると町は再びオーストリアの支配となり、1816 - 1849年にオーストリア帝国の地方行政区画としてイリュリア王国の行政的中心となった。1821年にライバッハ会議英語版の開催都市となり、これによって定められたヨーロッパの政治的境界線はその後、長年にわたって固定化されることとなった[26]。1849年には帝都ウィーンから最初のオーストリア南部鉄道が開業し、1857年には今日のイタリア北東部のトリエステへ延伸された[25]

1895年にリュブリャナはマグニチュード6.1の震災に見舞われた(1895年リュブリャナ地震英語版[27]。当時の人口は31,000人で、10%にあたる1,400の建物が破壊され大きな被害をもたらしている。震災後は再建がウィーン分離派様式により各地区で再建が行われた[25]。街灯はリュブリャナの町には1898年に現れ、再建に続いて町の近代化が当時の市長であったイヴァン・フリバル英語版により進められた。

1918年に第一次世界大戦が終結するとオーストリア=ハンガリー帝国は解体し、リュブリャナは後のユーゴスラビア王国となるセルビア人・クロアチア人・スロベニア人国の一部となり、スロベニア地方の中心都市となった。1929年にユーゴスラビア王国の行政区分が再編された際には、現在のスロベニアとほぼ同じ領域を占めるドラヴァ州英語版の州都となる[28]

第二次世界大戦から現代

第二次世界大戦ナチス・ドイツを主幹とする枢軸国ユーゴスラビア侵攻作戦を発動し、1941年4月10日、ドイツ国防軍がリュブリャナを占領した[29]。リュブリャナはドイツの同盟国であるイタリア王国に占領されその一部となり、1941年5月3日にリュビアナ州 (enの州都リュビアナとされ、市長には以前のユーゴスラビア王国の将軍であったレオン・ルプニク (enが就いた。イタリアの降伏後はドイツ国防軍とナチス親衛隊(SS)の親衛隊大将エアヴィン・レーゼナー (enとフリードリッヒ・ライナー (enが1943年に町の実権を握ったが 、形式上は1945年5月9日までイタリア王国リュビアナ州の州都とされていた。リュブリャナでは占領軍は要塞を設け、占領軍の協力者の組織としてイタリア占領時代は反共産主義義勇兵 (en、ドイツ占領時代はドモブランツィ (enなどが組織された。抵抗運動で地下組織のスロベニア国家解放戦線と都市の外側で活動するパルティザンの協調を邪魔するため都市の周囲 30キロメートル (19 mi)には有刺鉄線が張られていた。この有刺鉄線が張られていた場所は1985年以来、市街を囲む散歩道となっている[30]

第二次世界大戦終結後、リュブリャナはユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成するスロベニア社会主義共和国の首都となり、それは1991年まで続いた。スロベニアのユーゴスラビアからの独立宣言後、ユーゴスラビア人民軍の侵攻により十日間戦争が起こるがリュブリャナでは戦争の影響をほとんど受けず、スロベニアの首都となった。スロベニアは2004年には欧州連合(EU)に加盟した。リュブリャナの歴史は戦災よりも地震や洪水による自然災害に多く見舞われ、2010年10月にリュブリャニツァ川などの氾濫 (enにより市の南郊や西郊に続き、北郊が危険にさらされていた[31]


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