宝塚大劇場 宝塚大劇場の概要

宝塚大劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 08:45 UTC 版)

宝塚大劇場
Takarazuka Grand Theater


武庫川の畔に建つ宝塚大劇場(右)とバウホール

情報
正式名称 宝塚大劇場
完成 1992年9月28日
開館 1993年1月1日
開館公演 星組『宝寿頌/Parfum de Paris』
客席数 2,550
設備 売店飲食店
用途 宝塚歌劇団の公演等
運営 株式会社宝塚舞台
所在地 665-8558
兵庫県宝塚市栄町一丁目1番57号
アクセス 該当項目を参照
外部リンク 宝塚大劇場・宝塚バウホール
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戦前の宝塚大劇場(初代)

劇場の管理と舞台装置などの製作を行っているのは、阪急電鉄系列の株式会社宝塚舞台である。

大劇場を指して、あるいはその周辺地域を含めて「ムラ」とも呼ばれる[1][2][3]

宝塚大劇場(初代)

1924年開場。座席数3,500。宝塚歌劇の創設当初に公演を行っていた『パラダイス劇場』(プールを改造したもので火事により焼失)に代わり、1992年まで多くの作品が上演された。

竣工当初は歌舞伎座南座などの歌舞伎劇場と同じような花道が設置されていたが、『銀橋』の新設に伴い撤去され、銀橋と舞台袖の道に、花道の役割が当てられるようになった。

1927年9月1日に日本で最初のレビューモン・パリ~吾が巴里よ!~』を上演して以降、レビュー作品を次々と上演して黄金時代を迎えた。

1935年1月25日に火事に見舞われたが、小林一三の英断によって早急に復興されて、同年4月に再開した。天津乙女三浦時子、橘薫、小夜福子葦原邦子草笛美子美空暁子春日野八千代神代錦霧立のぼる轟夕起子等の多くのスターがこの時代を彩った。

しかし、戦局の悪化につれて戦争を意識した作品が多くなり、1944年『勧進帳/翼の決戦』を最後に大劇場は閉鎖、海軍に接収された(宝塚海軍航空隊)。

1945年、日本の敗戦でアメリカ軍に接収されたが、後に返還され、1946年『カルメン/春のをどり(愛の夢)』で再開。春日野八千代故里明美乙羽信子越路吹雪淡島千景久慈あさみ南悠子などのスターが戦争で傷ついた人々の心を癒した。その後1950年代から1960年代にかけては、『虞美人』、『シャンゴ』、『ジャワの踊り子』、『華麗なる千拍子』、『ウエスト・サイド物語』『マイ・フェア・レディ』など数々の代表作を上演し、寿美花代高千穂ひづる有馬稲子明石照子新珠三千代八千草薫淀かほる浜木綿子那智わたるなどのスターが活躍する。

1958年4月1日、花組が公演していた『宝塚春のおどり/花の中の子供たち』の上演中に、代役で出演していた月組の香月弘美が死亡するという事故が発生した。

1974年に『ベルサイユのばら』、1977年に『風と共に去りぬ』が上演され、初風諄榛名由梨汀夏子鳳蘭安奈淳松あきら上原まり瀬戸内美八順みつきなどのスターが彩りを添える。

1980年代には麻実れい峰さを理高汐巴大地真央黒木瞳剣幸などのスターを輩出した大劇場であったが、60年以上の歳月で老朽化。1990年10月から同じ敷地内に新しい設備の整った新大劇場が建設され[4]1992年11月の杜けあきさよなら公演『忠臣蔵』を最後に68年の幕を閉じた。また、劇団員以外に最年少で旧劇場を踏んだのは、当時小学生のタカラジェンヌ志望の女の子であり、千秋楽に杜けあきに花束を贈呈した際のことである。

宝塚歌劇以外では、ヘルベルト・フォン・カラヤンNHK交響楽団の演奏会(1954年)やNHKイタリア歌劇団の上演(1956年1959年)、ヴィレッジ・シンガーズ・ショー(1968年)、越路吹雪リサイタル(1975年)なども行われた。ほか、毎年1月にアマチュアトップコンサートが開催される。

宝塚大劇場(2代目)

座席
加美乃素が寄贈した宝塚大劇場の緞帳
ラウンジ
正面入口

1992年9月28日竣工[4]1993年1月1日開場[4]。座席数2,550。南ヨーロッパ風の外観を持つ[4]。初代と異なる点として、

  • 宝塚歌劇団専用の劇場であること
  • 吊り装置は2段式とし次回公演のリハーサルもステージ上で可能にしたこと
  • 席をちどり配列にすることで、前列の観客が後列の観客の視界の邪魔にならないように配慮されたこと
  • 席の後方に上階を支える柱があったが、撤去され観劇しやすい客席になったこと
  • 3階席を設けず、座席空間を広く取ったこと[4]
  • 照明システムはコンピューター制御を導入し、約1000パターンの演出に対応できるようになったこと

などが挙げられる。

(こけら)落とし公演は紫苑ゆう率いる星組の『宝寿頌/Parfum de Paris』。初期には安寿ミラ一路真輝天海祐希が活躍。

1995年1月17日阪神・淡路大震災では、盆を支える柱が折れるなど大きな被害を受ける。安寿ミラの退団公演などが全日程中止に追い込まれるも、3月には復興を果たし『国境のない地図』で再開された。翌1996年ウィーンミュージカルエリザベート』が日本初演で大成功を収める。

1998年宙組が発足し、東京宝塚劇場建て替え工事期間中の仮設劇場TAKARAZUKA1000days劇場の開場時から宝塚、東京共に通年公演が実施され、公演形態にも変化が生じた。

2004年末には銀橋のカーブを緩やかにして1階最前列中央の客席を27席増やす改修工事を実施。2005年から、客席数は2,550席となった。2009年より、1階最前列を0列から1列に改称し、合わせて席のグレードの見直しを行った。

2011年3月30日には、映画「阪急電車 片道15分の奇跡」の試写会が上演された。大劇場で映画イベントが開かれるのは、大劇場創設以来初めてとなる[5]

2014年4月に宝塚歌劇団が創立100周年を迎えるにあたり、宝塚市は同大劇場周辺の町名を「歌劇町」に変更する方針を掲げていたが、住民からの反発が強く、変更を断念している[6]


  1. ^ “【橋本奈実の芸能なで読み】まゆゆ初のミュージカル主演 月2回“ムラ”通いの熱心な宝塚ファン、夢叶い舞台へ”. 産経ニュース (産経デジタル). (2018年5月17日). https://www.sankei.com/article/20180517-Q36S5FNTJVLM3O5KPQAXTJ3GAY/ 2019年12月17日閲覧。 
  2. ^ (5)ムラで花開き、進撃する”. スターファイル. 朝日新聞社 (2014年3月31日). 2019年12月17日閲覧。
  3. ^ 青弓社編集部 2009, p. 57.
  4. ^ a b c d e “イメージは南欧風 阪急電鉄 新宝塚大劇場がしゅん工”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1992年10月1日) 
  5. ^ “中谷美紀、純白のドレスでタカラジェンヌの聖地に立つ 『阪急電車』プレミア試写会”. eltha (oricon ME). (2011年3月31日). https://beauty.oricon.co.jp/news/86144/full/ 2020年3月12日閲覧。 
  6. ^ “劇場周辺「歌劇町」に 宝塚市、変更を断念”. 日本経済新聞. (2013年1月24日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG23050_U3A120C1CC0000/ 2020年3月12日閲覧。 
  7. ^ “「宝塚歌劇の殿堂」オープン”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2014年4月4日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/04/04/0006835980.shtml 2020年3月12日閲覧。 
  8. ^ “「宝塚歌劇の殿堂」がオープン”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2014年4月4日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140404-1280313.html 2020年3月12日閲覧。 
  9. ^ Salon de Takarazuka ステージスタジオ”. 宝塚歌劇公式ホームページ. 2020年3月12日閲覧。
  10. ^ 宝塚大劇場 チャイルドルーム”. 宝塚歌劇公式ホームページ. 2020年3月12日閲覧。
  11. ^ 宝塚歌劇開演中に客が突然ピストル発射『東京日日新聞』昭和4年2月21日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p556 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)


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