孝明天皇
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登場作品
テレビドラマ
- NHK大河ドラマ
- 『徳川慶喜』(1998年) - 演:3代目花柳錦之輔
- 『新選組!』(2004年) - 演:9代目中村福助
- 『篤姫』(2008年) - 演:東儀秀樹
- 『龍馬伝』(2010年) - 演:阿部翔平
- 『八重の桜』(2013年) - 演:7代目市川染五郎
- 『西郷どん』(2018年) - 演:6代目中村児太郎
- 『青天を衝け』(2021年) - 演:2代目尾上右近
- その他テレビドラマ
- 『大奥』(関西テレビ、1968年) - 演:山内明
- 『大奥』(関西テレビ、1984年) - 演:松橋登
- 『白虎隊』(テレビ朝日、2007年) - 演:石丸謙二郎
- 『大奥』(NHKドラマ10、2023年) - 演:茂山逸平
映画
脚注
参考文献
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- 宮内省図書寮編 『孝明天皇実録 1・2巻』(ゆまに書房、2006年) ISBN 4843320404
- 平安神宮編 『孝明天皇紀』(全5冊:吉川弘文館、1981年)。1906年(明治39年)刊の復刻。NCID BN01623977
- 下橋敬長述・羽倉敬尚注 『幕末の宮廷』(平凡社〈東洋文庫〉、1979年)ISBN 4582803539
- 藤田覚 『幕末の天皇』(講談社選書メチエ、1994年/講談社学術文庫、2013年) ISBN 406292157X
- 佐々木克 『幕末の天皇・明治の天皇』(講談社学術文庫、2005年) ISBN 4061597345
- 家近良樹 『幕末の朝廷 若き孝明帝と鷹司関白』(中央公論新社〈中公叢書〉、2007年) ISBN 4120038831
- 家近良樹 『孝明天皇と「一会桑」 幕末・維新の新視点』(文春新書、2002年) ISBN 4166602217
- 阪本健一 『天皇と明治維新』(暁書房、1983年。ISBN 4900032166/皇學館大學出版部、2000年。ISBN 4876440972)
- 高橋秀直 『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館、2007年) ISBN 4642037772
- 原口清『王政復古への道 原口清著作集2』(岩田書院、2007年) ISBN 978-4872944778
- 李元雨『幕末の公家社会』(吉川弘文館、2005年) ISBN 4642034021
- ジョン・ブリーン『儀礼と権力 天皇の明治維新』(平凡社選書、2011年) ISBN 978-4582842319
- 蜷川新 『天皇 誰が日本民族の主人であるか』(光文社 1952年/長崎出版、1988年・2004年。ISBN 4860950445)
- 伊良子光孝『天脈拝診 孝明天皇拝診日記』(「医譚」復刊第47・48号、1976年) ISSN 0536-0307
- 京都府医師会 編 『京都の医学史』(思文閣出版、1980年) 全国書誌番号:80026728、NCID BN00717747。
- 徳富蘇峰・平泉澄校訂 『近世日本国民史』(時事通信社、1966年)
- 『61.孝明天皇御字終篇』、『62.孝明天皇崩御後の形勢』(後者のみ講談社学術文庫刊、1979年) NCID BN0601148X
- ※時事通信社版は全100巻、50冊分は1979年から1996年にかけ文庫再刊された。
関連項目
注釈
- ^ 孝明天皇自身は、「百廿二代孫統仁」(122代)と自署していた[1]。光格天皇も同様に現在のものから一代増えたものを使用しているが、この差異は、『本朝皇胤紹運録』にて現在は歴代天皇に数えられていない北朝の天皇を歴代天皇として数えていることから来る[2]。
- ^ 「七社とは、伊勢、石清水、賀茂、松尾、平野、稲荷、春日の各社のことであり、七寺とは、仁和寺、東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺、東寺、広隆寺の各寺である。」藤田覚『幕末の天皇』、第4章(講談社学術文庫 2013年)
- ^ しかし「天皇も自分と同意見」だとして事態を動かす点は危惧していた。前述の下問は朝廷内部の世論を喚起させて鷹司太閤へ対抗しようとした工作との見方がある。
- ^ 1866年2月2日(慶応元年12月17日)、典薬寮の高階経由・経徳らの建言による[6]。天皇没後の戊辰戦争を受けて、1868年3月31日(慶応4年3月8日)に同じ高階親子の建言で撤回された[7]。
- ^ 第15代アメリカ合衆国大統領のジェームズ・ブキャナンより贈られたウォルサム社製。
- ^ 安重根は伊藤博文を暗殺した15の理由うちの1つとして、「今ヲ去ル四十二年前、現日本皇帝(明治天皇)ノ御父君ニ当ラセラル御方(孝明天皇)ヲ伊藤サンガ失イマシタ。ソノ事ハミナ韓国民ガ知ッテオリマス」と述べている(新聞集成明治編年史編纂会、1940年、p.171)。
- ^ 坂東は「風呂の湯に毒が入れられた」旨の伝聞を述べている[12]。
- ^ 天皇史関係の書籍では著者名は主に「禰津正志」を使用。
- ^ 伊良子光孝が医学史雑誌『医譚』の第47・48号(1976年)に天脈拝診日記を再発表した際に記述したところによると、拝診日記の最初の発表以降、孝明天皇毒殺の証拠を探ろうとして光孝のもとへ歴史研究者や作家の類がかなり押しかけてきたという。これに閉口したのか、光孝は天皇の死因について「真実は医師である自分にも判らない」として私見の開陳を避け、「討幕派が天皇毒殺をするなど考えられず、また考えたくもない」といった旨のことも述べている。
出典
- ^ a b 『宸翰栄華』「宸筆御懐紙」
- ^ 「書陵部所蔵目録・画像公開システム,ギャラリーバックナンバー,『光格天皇宸翰南無阿弥陀仏』」
- ^ 『孝明天皇』福地重孝
- ^ 『孝明天皇紀』巻四P592
- ^ 『孝明天皇紀』巻四P845-846
- ^ 『孝明天皇紀』巻五P706-707
- ^ 『明治天皇紀』巻一P643
- ^ 1865年11月11日(慶応元年9月23日)付書簡『大久保利通文書』巻一P311
- ^ 『岩倉具視文書』巻一P264
- ^ 『孝明天皇紀』巻四P893
- ^ 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年、786頁。
- ^ 山口幸洋『大正女官、宮中語り』河西秀哉監修、創元社、2022年、76頁。
- ^ 京都府医師会 編『京都の医学史』思文閣出版、1980年、1301頁。
- ^ 原口清「孝明天皇の死因について」『明治維新史学史会報』第15号、1989年10月。
- ^ 原口清(著)、藤原彰 他(編)「日本近代史の虚像と実像1」、大月書店、1990年。
- ^ 原口清「孝明天皇と岩倉具視」『名城商学』第39巻別冊、1990年2月。
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