孝明天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 14:47 UTC 版)
后妃・皇子女
- 女御
- 九条夙子(英照皇太后)(1834年 - 1897年)
- 典侍
- 養子・猶子
在位中の元号
一世一元の詔発布前(日本における一世一元の制制定以前)の最後の天皇である。
諡号・追号
崩御後、漢風諡号「孝明天皇」が贈られた。諡を持つ最後の天皇(明治天皇以後の追号も諡号の一種とする場合もあるが、厳密には異なる)。勘申者は八条隆祐[11]。
陵・霊廟
陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしやまのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は円丘。
孝明天皇の埋葬にあたっては、文久の修陵事業で活躍した山陵奉行・戸田忠至(ただゆき)の建言を受け、従来の仏式葬の石塔から古式に改められ、歴代天皇墓所の泉涌寺裏山に、円墳を模した現陵が築かれた。ただし、葬儀そのものは泉涌寺において仏式で営まれた。歴代天皇で最後に仏式で葬儀が営まれた天皇となった。
皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに祀られている。また、平安京最初の天皇・桓武天皇を祀る平安神宮へ、平安京最後の天皇として1940年(昭和15年、皇紀2600年)に合祀された。そのほか、愛知県武豊町の玉鉾神社に祀られている。
仮御所
1855年(嘉永7年、途中で安政に改元)に内裏が焼失した際は、翌年の再建までの間に聖護院や桂宮邸を仮御所としていた時期もある。
注釈
- ^ 孝明天皇自身は、「百廿二代孫統仁」(122代)と自署していた[1]。光格天皇も同様に現在のものから一代増えたものを使用しているが、この差異は、『本朝皇胤紹運録』にて現在は歴代天皇に数えられていない北朝の天皇を歴代天皇として数えていることから来る[2]。
- ^ 「七社とは、伊勢、石清水、賀茂、松尾、平野、稲荷、春日の各社のことであり、七寺とは、仁和寺、東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺、東寺、広隆寺の各寺である。」藤田覚『幕末の天皇』、第4章(講談社学術文庫 2013年)
- ^ しかし「天皇も自分と同意見」だとして事態を動かす点は危惧していた。前述の下問は朝廷内部の世論を喚起させて鷹司太閤へ対抗しようとした工作との見方がある。
- ^ 1866年2月2日(慶応元年12月17日)、典薬寮の高階経由・経徳らの建言による[6]。天皇没後の戊辰戦争を受けて、1868年3月31日(慶応4年3月8日)に同じ高階親子の建言で撤回された[7]。
- ^ 第15代アメリカ合衆国大統領のジェームズ・ブキャナンより贈られたウォルサム社製。
- ^ 安重根は伊藤博文を暗殺した15の理由うちの1つとして、「今ヲ去ル四十二年前、現日本皇帝(明治天皇)ノ御父君ニ当ラセラル御方(孝明天皇)ヲ伊藤サンガ失イマシタ。ソノ事ハミナ韓国民ガ知ッテオリマス」と述べている(新聞集成明治編年史編纂会、1940年、p.171)。
- ^ 坂東は「風呂の湯に毒が入れられた」旨の伝聞を述べている[12]。
- ^ 天皇史関係の書籍では著者名は主に「禰津正志」を使用。
- ^ 伊良子光孝が医学史雑誌『医譚』の第47・48号(1976年)に天脈拝診日記を再発表した際に記述したところによると、拝診日記の最初の発表以降、孝明天皇毒殺の証拠を探ろうとして光孝のもとへ歴史研究者や作家の類がかなり押しかけてきたという。これに閉口したのか、光孝は天皇の死因について「真実は医師である自分にも判らない」として私見の開陳を避け、「討幕派が天皇毒殺をするなど考えられず、また考えたくもない」といった旨のことも述べている。
出典
- ^ a b 『宸翰栄華』「宸筆御懐紙」
- ^ 「書陵部所蔵目録・画像公開システム,ギャラリーバックナンバー,『光格天皇宸翰南無阿弥陀仏』」
- ^ 『孝明天皇』福地重孝
- ^ 『孝明天皇紀』巻四P592
- ^ 『孝明天皇紀』巻四P845-846
- ^ 『孝明天皇紀』巻五P706-707
- ^ 『明治天皇紀』巻一P643
- ^ 1865年11月11日(慶応元年9月23日)付書簡『大久保利通文書』巻一P311
- ^ 『岩倉具視文書』巻一P264
- ^ 『孝明天皇紀』巻四P893
- ^ 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年、786頁。
- ^ 山口幸洋『大正女官、宮中語り』河西秀哉監修、創元社、2022年、76頁。
- ^ 京都府医師会 編『京都の医学史』思文閣出版、1980年、1301頁。
- ^ 原口清「孝明天皇の死因について」『明治維新史学史会報』第15号、1989年10月。
- ^ 原口清(著)、藤原彰 他(編)「日本近代史の虚像と実像1」、大月書店、1990年。
- ^ 原口清「孝明天皇と岩倉具視」『名城商学』第39巻別冊、1990年2月。
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