今城重子とは? わかりやすく解説

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今城重子

読み方いまき しげこ

女官今城定章の娘。通称は婦喜・今参衛門内侍少将内侍孝明天皇側近として重きをなし、和宮結婚に際して斡旋の労により幕府より禄を増された。このことがのち尊王攘夷派公卿らを刺激し辞官・落飾命じられたが、後年旧位に復された。明治34年1901)歿、74才。

今城重子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/19 17:55 UTC 版)

今城 重子(いまき しげこ、1828年10月24日文政11年9月16日) - 1901年明治34年)7月18日)は、孝明天皇典侍。父は今城定章。母は松平光政の娘。

生涯

1848年嘉永元年)に孝明天皇の後宮に近侍し、後に少将内侍となる。義兄である千種有文や岩倉具視らと意を通じ、1858年安政5年)に具視の「神州万歳堅策」は重子を経て天皇に内奏されたといわれている[1]

和宮降嫁の際には堀河紀子と共に推進したため、後に朝廷内の尊攘派から「四奸両嬪」のひとりとして排撃され、辞官及び隠居、そして落飾を命じられた。しかし1868年慶応4年)に許されて旧位に復した[1]

1901年明治34年)7月18日、死去。享年74。墓所は京都府京都市三宝寺[2]

脚注

  1. ^ a b 「朝日日本歴史人物事典」(朝日新聞出版1994年
  2. ^ 「日本人名大辞典」(講談社


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