フジコ・ヘミング
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経歴
幼少時代
ヴァイマル共和政下のドイツ、ベルリンで誕生する。スウェーデン国籍(長らく無国籍の状態が続いた)[注釈 2]。
5歳で日本に移住した[10]が、父は日本に馴染めず、家族3人を残し一人スウェーデンに帰国してしまう[注釈 3]。以来、母と弟と共に東京の渋谷穏田で暮らし[11]、5歳から母:投網子の手ほどきでピアノを始める[12]。
また10歳から、父の友人であり、ドイツで母がピアノを師事したロシア生まれのドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァーに師事する。以後、東京藝術大学在学時を含め、長年の間クロイツァーの薫陶を受ける。
学生時代
青山学院緑岡尋常小学校(現:青山学院初等部)3年生の時にNHKラジオに生出演 [11]し、天才少女と騒がれる。小学校を卒業[13]。
1945年2月、家族と共に岡山県総社市日羽に疎開する[14][15]。同年4月、岡山県の高等女学校に入学し、そのまま学徒動員される。
終戦後、青山学院高等女学部(現:青山学院中等部)に転校。青山高女5年修了で、新制:青山学院高等部3年に進級する。高等部在学中、17歳で、デビューコンサートを果たす。高等部を卒業[16]。
東京藝術大学音楽学部在学中の1953年には、新人音楽家の登竜門である第22回NHK毎日コンクール(現日本音楽コンクール)に入選をはたし、翌年には第2位に入賞[17]、さらに文化放送音楽賞など多数の賞を受賞した。藝大卒業後[注釈 4]、本格的な音楽活動に入り、日本フィルハーモニー交響楽団など多数のオーケストラと共演。かねてよりピアノ留学を望んでいたが、パスポート申請時に無国籍であったことが発覚する。
国立ベルリン音楽大学へ留学
その後、留学の機会をうかがいつつピアニストとして音楽活動を行っていたが、1961年に、ウィルヘルム・ハース駐日西ドイツ大使の助力により、西ドイツ赤十字社に認定された難民として国立ベルリン音楽大学(現:ベルリン芸術大学)へ留学を果たした。
卒業後、ヨーロッパに残って各地で音楽活動を行うも、生活面では母からのわずかな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたという、大変な貧困で苦痛な状況が長らく続いた。フジコは「この地球上に私の居場所はどこにもない...天国に行けば私の居場所はきっとある。」と自身に言い聞かせていたと話している。
ヨーロッパでのピアニスト時代
その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事した。また、作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約した。しかし、リサイタル直前に風邪をこじらせ(貧しさで、真冬の部屋に暖房をつけることができなかったためとしている)、聴力を失うというアクシデントに見舞われ、やっとの思いで掴んだ大きなチャンスを逃すという憂き目を見た。
既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていたが、この時に左耳の聴力も失ってしまい、演奏家としてのキャリアを一時中断しなければならなくなった。失意の中、ストックホルムに移住する。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続ける。その後、左耳は40%まで回復した[18]。
日本への帰国後
母の死後、1995年に日本へ帰国し、母校東京藝術大学の旧:奏楽堂などでコンサート活動を行う。
1999年2月11日にNHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されて大きな反響を呼び、フジコブームが起こった。その後、発売されたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなった。第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞した。
やがて、1999年10月15日の東京オペラシティコンサートホールでの復活リサイタルを皮切りに、本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍することとなる。2001年6月7日には、ニューヨーク カーネギー・ホールでのリサイタルを披露する。現在、ソロ活動に加え、海外の有名オーケストラ、室内楽奏者との共演と活躍は続く。
晩年
2003年10月17日に、フジテレビ系で波瀾万丈の半生がテレビドラマ化された。スペシャルドラマ『フジ子・ヘミングの軌跡』でフジ子役を菅野美穂が演じて、20.1%の高視聴率を記録した。
2013年に自身のCDレーベル「ダギーレーベル」を発足。アルバム第1作「フジコヘミング スペインカメラータ21オーケストラ」を国内外でリリース。Catalunya(CatMusica/CatalunyaRadio)でリスナーの支持により1位に選ばれた。
毎年、世界各地でコンサートを行っているが、2019年3月8日にはパリの有名コンサートホール「Salle Gaveau」でリサイタルを開く。
2021年12月、ポートレート写真や折々に描いた絵画が元になった郵便切手が発売された[19]。
2023年11月、自宅階段で転倒して脊髄損傷の大怪我を負い、治療とリハビリに努めていたが膵臓がんも発覚した[20]。
死去
2024年4月21日、膵臓がんのため死去。92歳没。訃報は5月2日にフジコ・ヘミング財団より発表された[21][22][23]。
注釈
- ^ フジ子・ヘミング著『永遠の今』162頁には、実家は大阪で『大月インク』という印刷会社を経営していたとある。1930年代にベルリンに留学した。
- ^ 18歳までに一度も入国した経験がなかったため国籍を抹消されたことによるもの。当時日本は父系血統主義を採っており、日本国籍も取得できなかった。後にスウェーデンに就籍する。
- ^ フジ子・ヘミング著『永遠の今』160頁には、日本を風刺する漫画を描いたため、特高に目をつけられ、強制送還させられたとある。本国で建築家になって再婚し、娘が二人生まれた。
- ^ ただし『音楽年鑑 昭和32年版』の経歴には「青山学院卒、現在スエーデン国籍」とあるのみで、東京芸術大学に関しては書かれていない[2]。
- ^ NHKビデオ『フジコ 〜あるピアニストの軌跡〜』(1999年10月15日)の中で、「一日に一食は何らかの形でジャガイモを取らないと体調が優れない」という旨のことを述べている。
- ^ 『永遠の今』での、自宅の飾り棚を映した120頁の写真には、写真立てに入ったマリリン・モンロー、その右に、同じくジュリエット・グレコその他、更にその右隣に、サンソン・フランソワの写真が入った写真立てが見られる。
出典
- ^ a b c “プロフィール”. JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント. 2023年8月9日閲覧。
- ^ a b 音楽之友社、音楽新聞社 編「大月フジ子」『音楽年鑑 昭和32年版』音楽之友社、1957年、242頁。NDLJP:2471915 。
- ^ a b c “ファミリーヒストリー「フジコ・ヘミング〜母の執念 魂のピアニスト誕生〜」”. TVでた蔵. ワイヤーアクションdate=2020-02-28. 2023年8月10日閲覧。
- ^ 「告示 法務省告示」『官報』13623号、1972年5月24日、12頁 。
- ^ “【追悼】私の夢、私の人生——運命のピアノは鳴り響く:フジコ・ヘミング”. 致知出版社 (2024年5月2日). 2024年5月10日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “フジコ・ヘミングの才能を誰よりも信じ抜いた母の執念 ファミリーヒストリー「フジコ・ヘミング~母の執念 魂のピアニスト誕生~」”. NHK_PR(2020年2月21日). 2020年5月2日閲覧。
- ^ a b “フジコ・ヘミング「一度も褒めてくれなかった母から受け継いだ『前向きに生きる力』」”. 講談社. p. 2 (2023年4月28日). 2023年8月10日閲覧。
- ^ a b “フジコ・ヘミング「今は20匹の保護猫のためにピアノを弾くの。恋をしている瞬間が一番幸せ」”. 中央公論新社 (2021年2月9日). 2023年8月10日閲覧。
- ^ “フジコ・ヘミングさん訃報 親戚の「ロマンティックあげるよ」歌手が「音色は永遠です」”. 日刊スポーツ (2024年5月2日). 2024年5月18日閲覧。
- ^ a b c “インタビュー 人生、おしゃれ、そしてこれから ピアニストとして認められたのは60代後半。でも若いときに成功したかったとは思わない【フジコ・ヘミングさん】”. 講談社 (2023年5月16日). 2023年8月10日閲覧。
- ^ a b c “ピアニスト フジコ・ヘミング氏 米山梅吉を語る ~あの日あの時、そして今~ (2020 秋号 Vol.36)”. 公益財団法人米山梅吉記念館 (2020年9月19日). 2023年8月10日閲覧。
- ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、192ページ、ISBN 4-7872-7208-X
- ^ “フジコ・ヘミング ピアノ コンサートが開催されました”. 青山学院初等部 (2017年12月18日). 2023年8月10日閲覧。
- ^ JNN NEWS『NO WAR プロジェクト』フジコ・ヘミングさんが伝えたい「戦争の愚かさ」2023年8月10日 11時41分放送
- ^ a b 山陽放送 (2023年7月22日). “【演奏動画あり】“魂のピアニスト” フジコ・ヘミング「うまくいったねとシェレンベルガーがほほ笑んだ」モーツァルト・ピアノ協奏曲第21番 (TBS NEW DIGS)”. TBSテレビ. 2023年8月10日閲覧。
- ^ “【高等部新校舎完成記念 第8回 高等部同窓会 大同窓会 開催報告】”. 青山学院校友会 (2014年12月19日). 2023年8月10日閲覧。
- ^ 日本音楽コンクール公式HP-https://oncon.mainichi-classic.net/winners/21-30/
- ^ “フジ子・ヘミング 我が心のパリ | CCCメディアハウスの書籍”. books.cccmh.co.jp. 2024年5月7日閲覧。
- ^ “フジコ・ヘミング オリジナル フレーム切手セットの受付開始 お知らせ”. fuzjko.net (2021年12月1日). 2024年5月2日閲覧。
- ^ “NHKスペシャル『魂のピアニスト、逝く~フジコ・ヘミング その壮絶な人生~』5・26放送 貴重な映像記録からその実像に迫る”. TV LIFE公式サイト (2024年5月21日). 2024年5月27日閲覧。
- ^ FuzjkoHemmingの2024年5月2日のツイート、2024年5月2日閲覧。
- ^ "「魂のピアニスト」フジコ・ヘミングさん死去 92歳 聴覚喪失など苦難乗り越え聴衆魅了". 産経ニュース. 産経デジタル. 2 May 2024. 2024年5月2日閲覧。
- ^ "ピアニストのフジコ・ヘミングさん死去 「ラ・カンパネラ」で旋風". 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2 May 2024. 2024年5月2日閲覧。
- ^ 『山陽新聞』2022年5月21日 朝刊30面「フジコ・ヘミングさん総社でピアノと再会」
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- ^ “学び舎のいにしえピアノ(下) 総社市立 昭和小学校”. 山陽新聞社 (2023年3月21日). 2023年8月10日閲覧。
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- ^ “漁師ピアニスト、フジコ・ヘミングさんと念願の共演果たす…「夢が実現」「また演奏してよ」” (2021年4月20日). 2023年8月10日閲覧。
- ^ サガテレビ (2022年1月24日). “パチンコばかりの人生が一変…ノリ漁師がピアノを独学でマスター 憧れのフジコ・ヘミングと演奏へ【佐賀発】”. フジテレビ. 2023年8月10日閲覧。
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- ^ “89歳にして禁煙のフジコ・ヘミングさん…「演奏には普段の行いが全部出ちゃうから」”. 讀賣新聞. (2022年1月7日) 2023年8月10日閲覧。
- ^ 奇蹟のカンパネラ 第14回 日本ゴールド・ディスク大賞、クラシック・オブ・ザ・イヤー受賞
- ^ 永久(とわ)への響き
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- ^ リスト:ピアノ協奏曲 第1番
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- ^ フジ子・ヘミング トロイメライ
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- ^ トロイカ
- ^ 雨だれ
- ^ 心の詩〜想い出メロディ
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- ^ ショパン・リサイタル
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- ^ カンタービレ
- ^ ラ・カンパネラ1973
- ^ 皇帝
- ^ ピアノ名曲集
- ^ ピアノ名曲集〜デラックス・エディション2007
- ^ フジコ・イン・パリ 2006
- ^ Fuzjko
- ^ リスト&ショパン コレクション
- ^ イングリット・フジコ・ヘミング/スペイン・カメラータ21オーケストラ/トビアス・ゴスマン
- ^ ピアノ ソロ【会場限定盤DVD付】
- ^ ソロ ライブ【会場限定盤】
- ^ リスト:ピアノ協奏曲 第2番
- ^ “コンサート セレクション【会場限定盤】”. 2021年4月10日閲覧。
- ^ COLORS All Time Best Album 1973-2021
- ^ “魂の響き~フジコ・ヘミングの世界~”. 2023年2月22日閲覧。
- ^ “フジコ・ヘミング マリオ・コシック「Adagio」”. 2023年4月14日閲覧。
- ^ フジコ 〜あるピアニストの軌跡〜
- ^ フジ子・ヘミングとウイーンの仲間たち
- ^ 響色の舞 〜フジ子・ヘミング絵画の世界
- ^ フジ子・ヘミングの軌跡
- ^ フジ子・ヘミング、パリからの風
- ^ 翔け!フジ子・ヘミング 35年目の世界初挑戦
- ^ フジ子・ヘミング-ピアノコンサートの記録Ⅰ
- ^ FUZJKO HEMMING Á L'HÔTEL LAMBERT Paris
- ^ フジコ・ヘミング ソロ・コンサート
- ^ フジコ・ヘミングの時間
- ^ “『いと小さきいのちのために 〜プレミアム・パーフェクト・バージョン〜』”. 2019年11月8日閲覧。
- ^ “赤いカンパネラ スペシャル・ソロ・コンサート2023”. フジコ・ヘミング公式サイト. 2023年10月25日閲覧。
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