ジャイアントパンダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 10:13 UTC 版)
分布
中華人民共和国(甘粛省、四川省、陝西省)[3][4][6]。湖北省、湖南省では絶滅[3]。
化石記録から、古くは北京周辺からベトナム北部、ミャンマー北部にかけて分布していたと考えられている[3]。
形態
歯列は門歯が上下6本ずつ、犬歯が上下2本ずつ、小臼歯は上下8本ずつ、臼歯は上顎4本、下顎6本の計42本[4]。臼歯は大型でタケ類を噛み砕くのに適していて[6]、顔も幅広い[5]。食道には輪状の角質が並ぶ[5]。胃の隔壁は厚い[5][7]。小腸はクマ科内でも短く(表面積が小さい)、盲腸や直腸の表面積は大きい[6]。肛門や性器の周辺に、分泌腺がある[4]。
乳頭の数は4個[4]。
- 体長・体重
- 頭胴長(体長)120 - 150センチメートル[5]。体重オスは100キログラム、メスは90キログラム(飼育個体ではオス120キログラム、メス100キログラム)[4]。立ち上がると170cm程度になる。
- 体毛
- 全身は分厚い体毛で覆われる[4][5]。眼の周り、耳、四肢、背中の両肩の間の毛が黒く、他の部分は白色(クリーム色)である[8][9][4][6][7]。種小名 melanoleuca は「黒白の」の意。この模様や色使いは「単独行動が維持できるように近すぎる距離での遭遇を回避するのに役立っている[10][11]」「周りの景色に溶け込んで外敵の目から逃れるためのカモフラージュの役割を果たしていた[12]」等と考えられている。色彩は古くは捕食者から輪郭をごまかすのに役立ったり積雪地域での保護色だったとする説もあるが、現在では人間以外の捕食者はほとんどおらず雪もあまりない環境で生活している[7]。
- ジャイアントパンダの毛は軟らかそうなイメージがあるが、軟らかいのは生後約1年くらいまでであり、成獣の毛は豚毛ブラシに近く、比較的硬い[9][13]。毛皮は、硬くて脂ぎっている[9]。
- 頭
- 2~3頭身の乳幼児体型で大きい。また目・鼻・口は顔の下半分に集中している。堅い竹を噛み潰す必要上、筋肉が頭蓋骨の上方に位置するため額も広い[14]。
- 尾
- 尾長10 - 15センチメートル[4]。尾はほとんど成長しないため、成獣では目立たない[8]。ジャイアントパンダのぬいぐるみ・人形・キャラクターグッズなどのなかには、尾を黒く塗った商品を見かけるが、汚れなどによる誤解や思い込みに基づいて色付けされており、本種の尾の色は正しくは白色(クリーム色)である[8][9][15]。
- 幼少期
- 生まれた直後は毛が一切生えておらず、薄いピンク色をしている[5][13]。生後約1週間から十日程で毛根の色が透けるため白黒模様が見え始める[9][13]。生後1か月ほど経つと親と同じような模様の毛が生え揃う[5][13]。
- 出産直後の幼獣は体長15センチメートル[5]。体重85 - 140グラム[7]。
- 手
- 通常、クマは前肢の構造上、物を掴むという動作ができない。しかし、唯一ジャイアントパンダは竹を掴むことができるように前肢周辺の骨が特殊に進化している[16]。第一中手骨(親指)側にある撓側種子骨と第五中手骨(小指)側にある副手根骨が巨大化して指状の突起となっており、その突起を利用して物を押さえ込む。撓側種子骨は人間の親指のように見えることから「偽の親指」や「第六の指」と呼ばれている[9][13]。
- ジャイアントパンダは撓側種子骨があることで物を掴めると長い間考えられてきたが、実際に竹のような太さの棒状の物体を掴むには撓側種子骨に加え、「第七の指」副手根骨が必要であることが、遠藤秀紀ら (1999) [17]によって示された。パンダがこれら2つの骨を使って物を掴む仕組みは、論文の中で「ダブル・ピンサー」、すなわち「パンダの掌の二重ペンチ構造」[18]と紹介されている。
- 眼
- 眼の周りの模様が垂れ目のような形をしているが、実際の眼は小さく上がり気味で鋭い目付きである[13][19]。視力はあまりよくないと考えられていたが、研究によって2000年代、灰色と様々な色合いを区別できることが確認された[20]。
- 内臓
- 消化器官や歯の構造はクマやアザラシ等、他の肉食動物と大変似ている。犬歯は大きく、奥歯も大きく平らな臼歯で人間のおよそ7倍の大きさである[9][13]。腸や盲腸は草食性としては短い構造がデメリットとなり、セルロースを多く含む竹などの食物を食べた場合、栄養摂取の効率が低く、それを量で補うため、ジャイアントパンダは一日の大半を竹を食べることに費やしている[9][13]。また、陝西省仏坪県の自然保護業務関係者は、三官廟一帯で秦嶺の野生のパンダが牛の足の骨をかじった跡を確認している。
ジャイアントパンダはこれまでアルビノの個体が確認されておらず、その姿や存在を実証する術もなかったことから「存在し得ないもの」と見られていたが、2019年4月中旬に四川省・臥竜国立自然保護区にて真っ白な毛色のジャイアントパンダが歩行している様子を山中に設置されたカメラが捉えており、目が赤く足の部分の毛も白いことから、同地管理局では紛れもないアルビノの個体であるとされている。さらに同管理局によれば、専門家は「外部の特徴からこのパンダは遺伝子上の異常が原因で白化した」と分析しているという[21]。
分類
1869年3月11日、博物学に長けたフランス人宣教師のアルマン・ダヴィドが、現在の中華人民共和国四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を欧米人として初めて発見した。後日、パリの国立自然史博物館に毛皮と骨などを送った[22][23][24][25][26]。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、毛皮目当てに狩猟ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。探検家のウィリアム・ハークネスが生体をアメリカに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが、1936年11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。その剥製がアメリカ自然史博物館に保管されている。
クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、古生物学、形態学、分子系統学的研究の結果、近年ではクマ科に分類される[16][27]。一方、レッサーパンダは独立したレッサーパンダ科に分類された。
2005年に頭蓋骨が小型で臼歯が大型であること、上胸部が暗褐色(通常は黒い)・腹部も褐色の個体が多いか白い個体でも褐色の体毛が混じる(通常は白い)こと、DNA指紋法による分子解析から秦嶺山脈の個体群を亜種 A. m. qinlingensis とする説が提唱された[28]。一方でこの亜種を認める説は、有力ではない[3]。
注釈
- ^ イギリス人の冒険家によって発見された。
- ^ レッサーパンダの現地・ネパール語名:nigalya panja、nyala ponja、poonja
- ^ 例えば、Krämer, Karl-Heinz. Nepli-English Dictionary.
- ^ 同様に、"A Comparative and Etymological Dictionary or the Nepali Language (online version)".
- ^ 別資料の表現では、ヒマラヤ南東部のチベット・ビルマ語派言語に起源あり。→“panda” (英語). Dictionary.com. 2010年5月3日閲覧。
- ^ 学研が1968年に発行した『原色現代科学大事典』の第5巻では巻末の和名―学名表で「オオパンダ Ailropoda melanoleuca」とあり、本文解説の「オオパンダ」の項目に和名の横にカッコ書きで小さく「ジャイアントパンダ・イロワケグマ・シロクログマ」表記が見られる。
(『原色現代科学大事典 5動物II』、宮地伝三郎(責任編集者)、株式会社学習研究社、昭和43年、p.539・607。) - ^ 上野動物園で死亡したジャイアントパンダはすべて標本として保管されており、フェイフェイ、トントン、ホァンホァンの3頭の剥製は同じく上野恩賜公園内にある国立科学博物館で、ランラン、カンカンの2頭の剥製は多摩動物公園で展示されている。2008年12月23日から2009年4月5日には、国立科学博物館にて『初公開!はく製リンリン-上野のパンダ全員集合』と題した展示が行われ、7頭すべて(ランラン、カンカン、フェイフェイ、ホァンホァン、トントン、リンリンの6体は剥製、チュチュは液浸標本)の標本が集められ、公開された。
- ^ 陵陵(リンリン)が2008年4月30日に死亡したため、東京都恩賜上野動物園からパンダがいなくなったのと同時に、日本が所有権を持つジャイアントパンダはいなくなった。なお、陵陵は血縁上、永明の伯父にあたる。
- ^ 永明は梅梅の双子の姉(蜀蘭)との間に、人工授精により、2002年に中国で生まれた子(蘭宝:オス)がいる。
- ^ 梅梅は来日前に中華人民共和国で双子の姉妹(奇縁:メス、奇珍:メス)を出産した経験があり、第3子である良浜を妊娠した状態で来日した。
- ^ 公開は2011年3月22日からを予定していたが、東日本大震災の影響で4月1日からとなった。
- ^ 歴史的史料において、日本書紀巻廿十六、斉明紀四年に「是歳、越国守阿倍引田臣比羅夫、討粛慎、献生羆二、羆皮七十枚」との記述があり、これを元に解釈した本(『おおパンダ!!』翠楊社、1972年。 『パンダ』中央公論社〈自然選書〉、1976年。 R&D・モリス 著、根津真幸 訳『世界動物発見史』平凡社、1988年。 中国パンダ保護研究センター、斉鳴 著、日本パンダ保護協会 編『パンダ育児日記』二見書房、2007年2月25日。ISBN 978-4-576-07001-8。等)にて「この時代に中国からジャイアントパンダが贈られた」との表現があるが、詳細は不明である(参考資料:日中パンダ交流史試論、TokyoZooNet(財団法人 東京動物園協会)ZooExpress No.125 2003年8月15日)
出典
- ^ Appendices I, II and III (valid from 26 November 2019)<https://cites.org/eng> (downroad 06/05/2020)
- ^ a b UNEP (2020). Ailuropoda melanoleuca. The Species+ Website. Nairobi, Kenya. Compiled by UNEP-WCMC, Cambridge, UK. Available at: www.speciesplus.net. (downroad 06/05/2020)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Swaisgood, R., Wang, D. & Wei, F. 2016. Ailuropoda melanoleuca. The IUCN Red List of Threatened Species 2016: e.T712A45033386. Downloaded on 05 June 2020.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 中里竜二 「パンダ科の分類」『世界の動物 分類と飼育2 (食肉目)』今泉吉典監修、東京動物園協会、1991年、67-69頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 小原秀雄 「ジャイアントパンダ(オオパンダ)」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社、2000年、144頁。
- ^ a b c d e f g h i j 高槻成紀 「『タケ食い専科』への道 ジャイアントパンダ」『動物たちの地球 哺乳類I 10 クマ・パンダ・ラッコほか』第8巻 46号、朝日新聞社、1992年、298-301頁。
- ^ a b c d e f g h i LeeAnn Bies, 2002. "Ailuropoda melanoleuca" (On-line), Animal Diversity Web. Accessed June 05, 2020 at https://animaldiversity.org/accounts/Ailuropoda_melanoleuca/
- ^ a b c “パンダの館”. 上海野生動物園. 2008年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “パンダに関する基礎知識:パンダ館”. 2013年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月18日閲覧。[要検証 ]
- ^ a b “パンダのコミュニケーション”. 2019年1月18日閲覧。[要検証 ]
- ^ ジョージ・B・シャラー、播文石、胡錦矗、朱靖ほか『野生のパンダ』どうぶつ社〈自然誌選書〉、1989年3月。ISBN 978-4-88622-246-6。[要ページ番号]
- ^ a b THE ANIMALS「ジャイアントパンダ Giant Panda(次のページ)」(2009年8月31日時点のアーカイブ)
- ^ a b c d e f g h “パンダ図鑑”. 神戸市立王子動物園. 2019年1月18日閲覧。
- ^ “Q8:ジャイアントパンダはどうして可愛いらしく見えるの?|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」”. 上野動物園. 2019年1月18日閲覧。
- ^ パンダの尻尾が何色か知りたい。 | レファレンス協同データベース
- ^ a b 遠藤秀紀 著「ジャイアントパンダの分類学的位置と形態学的適応」、松井正文 編『脊椎動物の多様性と系統』裳華房、2006年、336-337頁。ISBN 4785358300。
- ^ Hideki Endo, Daishiro Yamagiwa, Yoshihiro Hayashi, Hiroshi Koie, Yoshiki Yamaya, Junpei Kimura, Role of the giant panda's 'pseudo-thumb', Nature, 399, 309-310 (1999)
- ^ 遠藤秀紀『遺体科学の挑戦』東京大学出版会、2006年9月、209頁。ISBN 978-4-1306-3328-4。
- ^ a b c THE ANIMALS「ジャイアントパンダ Giant Panda」(2011年11月9日時点のアーカイブ)
- ^ Giant pandas see in color(英語) Biology News Net 2006年10月15日
- ^ “世界初、真っ白なパンダを捉えた写真を公開―四川省”. Record China (2019年5月27日). 2019年7月14日閲覧。[出典無効]
- ^ R&D・モリス 著、根津真幸 訳『パンダ 自然選書』中央公論社、1976年1月。ISBN 978-4-12-000620-3。
- ^ 3月11日はパンダ発見の日(2013年7月30日時点のアーカイブ) OCN TODAY 2008年3月11日
- ^ 【 熊猫 】(2008年5月12日時点のアーカイブ) 中国語学習ノート 2007年2月2日
- ^ 「パンダ」はどこからやってきた?(2009年6月20日時点のアーカイブ) 辞引網 2003年5月30日
- ^ じゃいあんとぱんだ【ジャイアントパンダ】(百科辞書)(2008年5月8日時点のアーカイブ)
- ^ a b c d e f g h i “パンダについて |WWFジャパン”. WWF. 2019年1月31日閲覧。
- ^ Wan, Q.-H., H. Wu, and S.-G. Fang. "A new subspecies of giant panda (Ailuropoda melanoleuca) from Shaanxi", Journal of Mammalogy, Volume 86, 2005, Pages 397-402.
- ^ a b c パンダ村「パンダの食べ物」[出典無効][リンク切れ]
- ^ “パンダがヤギを喰らう、中国農村部”. Sputnik日本 (2017年3月4日). 2017年3月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 荒木達雄 「中国古文献中のパンダ」『東京大学中国語中国文学室紀要』第9号、東京大学文学部中国語中国文学研究室、2006年、1-22頁。
- ^ a b 永戸豊野 「混迷するパンダ救出作戦」『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ1 ユーラシア、北アメリカ』小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著、講談社、2000年、19頁。
- ^ “ジャイアントパンダ”. 2009年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月18日閲覧。[要検証 ]
- ^ “中国で野生のパンダ射殺し肉売買 摘発”. CNN. (2015年5月14日) 2015年5月16日閲覧。
- ^ a b c d e f 佐川義明・中里竜二・田島日出男・神門英夫・野口利夫 「ジャイアントパンダの繁殖」『世界の動物 分類と飼育2 (食肉目)』今泉吉典監修、東京動物園協会、1991年、182-185頁。
- ^ “パンダという名前”. https://www.amazon.co.jp/dp/B09S231X2L?ref_=pe_3052080_397514860.
- ^ "Animal Info – Red Panda" (英語). 2019年6月23日閲覧。
- ^ "giant panda (mammal) -- Encyclopedia Britannica" (英語). Britannica.com. 2013年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月23日閲覧。
- ^ “panda (mammal, Ailurus species) -- Encyclopedia Britannica”. Britannica.com. 2013年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月23日閲覧。
- ^ Oxford English Dictionary, s.v. panda n. 1.
- ^ パンダ【panda】 goo辞書(情報元:大辞泉)
- ^ panda - Online Etymoligy Dictionary.
- ^ 姚德懷 (July 1999). "再談大熊貓". 華語橋 (中国語). 2019年6月23日閲覧。
- ^ 井上純一[中国嫁日記web版 http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/archives/51475634.html]
- ^ "台南動物園類似熊貓的黑白熊". 臺灣電視公司 (中国語). 2008年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月26日閲覧。
- ^ "貓熊與熊貓 真真假假 細述身分". 聯合報 (中国語). 29 December 1987.
- ^ "新聞局正名 熊-{}-貓「統一」名稱 農委會認係「外行指導內行」". 聯合報 (中国語). 9 August 1990.
- ^ “上野のパンダなぜ少子化 “多産”和歌山と異なる理由”. 東スポweb. (2017年6月14日) 2019年1月31日閲覧。
- ^ a b c “上野動物園 双子パンダの名前は 「シャオシャオ」「レイレイ」”. NHK NEWSWEB (2021年10月8日). 2021年10月8日閲覧。
- ^ a b c “上野動物園の双子パンダ、シャオシャオとレイレイに 小池知事発表:朝日新聞デジタル”. (2021年10月8日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m “歴代のパンダたち|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」”. 東京動物園協会. 2019年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “利用案内・情報 ≫ ホットニュース ≫ 2008-05-01 :: 国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo”. 国立科学博物館. 2019年1月31日閲覧。
- ^ a b c NHK「ファミリーヒストリー」取材班『パンダ「浜家」のファミリーヒストリー』東京書籍、2022年6月、10-17頁。ISBN 978-4-487-81620-0。
- ^ a b c d e “ファミリーヒストリー「パンダ・彩浜(サイヒン)〜白浜パンダ一家のルーツ〜」”. TVでた蔵 (2020年1月6日). 2020年4月24日閲覧。
- ^ “メキシコの高齢パンダ「シュアンシュアン」死ぬ 35歳”. KWP News (2022年7月8日). 2023年5月11日閲覧。
- ^ a b “福岡にもパンダがいた!”. 市政だより3月1日号中央区版 (2012年2月18日). 2020年5月1日閲覧。
- ^ “中国上海雑技団日本縦断公演 世界のスーパーアイドルウェイウェイ君 長崎公演!!”. 長崎県日中親善協議会ニュースNo.8 1-3頁 (1981年4月15日). 2020年5月1日閲覧。
- ^ a b “「ポートピア’81」回想”. 神戸市:KOBEの本棚 第50号 (2005年6月20日). 2020年5月1日閲覧。
- ^ a b “ポートピアのジャイアントパンダ”. 神戸市立王子動物園機関誌 はばたき 第12号 7頁 (1982年7月10日). 2020年5月1日閲覧。
- ^ a b “懐かしい!!!「こうふ博」の半券をいただきました!”. 甲府市:こうふ開府500年 (2019年1月23日). 2020年5月1日閲覧。
- ^ “伝奇的なパンダ-------氷氷”. 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地日本語版 (2014年12月9日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “中国で「オス」と思われていたパンダが出産”. AFPBB News (2007年8月9日). 2020年8月18日閲覧。
- ^ a b c d “動物紹介 パンダの部屋”. 神戸市立王子動物園. 2020年5月1日閲覧。
- ^ “29岁旅日大熊猫“爽爽”因病死亡”. 中国野生動物保護協会(中国語) (2024年4月1日). 2024年4月1日閲覧。
- ^ “熊猫星球没有病痛,“爽爽”一路走好”. 中国大熊猫保護研究中心(中国語) (2024年4月1日). 2024年4月1日閲覧。
- ^ “ジャイアントパンダ「タンタン」病死のご報告”. 神戸市立王子動物園 (2024年4月1日). 2024年4月2日閲覧。
- ^ a b “動物園にパンダがやってきた 瀬戸大橋開通を記念”. 岡山)朝日新聞デジタル (2018年4月7日). 2020年5月1日閲覧。
- ^ a b “岡山にパンダがやってきた”. 池田動物園の歴史. 2020年5月1日閲覧。
- ^ a b “青函博覧会とその効果 青函圏の発展をめざして”. 「函館市史」通説編4 7編3章コラム58 890-894頁. 2020年5月1日閲覧。
- ^ a b “函館商工会議所報「ともえ」No.88 1,4,6,20頁” (1988年7月20日). 2020年5月1日閲覧。
- ^ a b “絶滅の危機に瀕したパンダ等の繁殖に実績。人間と動物と自然とのふれあい、さらに深く。”. 株式会社和歌山毎日広告社 新聞シリーズ企画アーカイブ 観光のまちづくりプロジェクト 23-25頁. 2020年5月1日閲覧。
- ^ “熊猫庆庆年纪过大无缘生态动物园 将回四川养老”. 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地(中国語) (2010年9月2日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “祖宗级熊猫庆庆满30岁啦!”. 成都商報 5面(中国語) (2014年9月10日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b NHK「ファミリーヒストリー」取材班『パンダ「浜家」のファミリーヒストリー』東京書籍、2022年6月、30-35頁。ISBN 978-4-487-81620-0。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah “パンダファミリーの紹介”. Adventure World WEB (2018年8月). 2020年4月24日閲覧。
- ^ “白浜パンダファミリーの長男「雄浜」(ゆうひん)”. 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地日本語版 (2019年5月9日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “两只大熊猫从禄口机场回成都,看看它们是怎么上飞机的!”. 揚子晩報(中国語) (2020年7月21日). 2020年9月12日閲覧。
- ^ ““海归”大熊猫秋浜入住深圳野生动物园”. 中国新聞網(中国語) (2017年4月10日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “「幸浜」が日本から無事に帰国を果たしました”. 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地日本語版 (2010年3月31日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “萌化了!陕西大熊猫喜添三丁”. 央視網新聞(中国語) (2017年6月22日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “成都大熊猫蜀林、明浜途经南宁到达柳州”. 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地(中国語) (2013年3月29日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “两只国宝大熊猫明日正式与唐山市民见面”. 環渤海新聞網(中国語) (2018年5月18日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “旅日大熊猫“梅浜”“永浜”昨晚回蓉”. 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地(中国語) (2013年2月27日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “大熊猫“星宝、海浜”入住贵阳“豪宅”:对新家十分满意!”. 当代先鋒網(中国語) (2018年4月13日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “旅日大熊猫兄妹“浜”荣耀归来 ——旅日大熊猫“海浜”、“阳浜”、“优浜”顺利归国”. 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地(中国語) (2017年6月6日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b “パンダプロフィール|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」”. 東京動物園協会. 2020年5月1日閲覧。
- ^ “成都大熊猫“大双”“优浜”启程前往宿州”. 中国新聞網(中国語) (2018年3月31日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “ジャイアントパンダの赤ちゃんの性別についてのお知らせ〜生後1か月〜”. Adventure World WEB (2020年12月22日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ “SMILE BIRTH PROJECT 〜命のバトンを、希望のバトンへ。〜 2020年11月22日生まれのジャイアントパンダパンダの赤ちゃん 名前が「楓浜(ふうひん)」に決定しました!”. Adventure World WEB (2021年3月18日). 2021年3月18日閲覧。
- ^ a b “ジャイアントパンダ「シンシン」2頭出産のお知らせ|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」”. 東京動物園協会. 2021年10月8日閲覧。
- ^ “米動物園のパンダが高齢出産、6回目で過去最多記録に”. エキサイトニュース. ロイター (エキサイト). (2012年7月31日). オリジナルの2012年8月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Panda Cam”. San Diego Zoo. San Diego Zoo Global. 2019年1月31日閲覧。
- ^ “友好の象徴から敵対の象徴に 米動物園のパンダ、中国に帰国”. CNN (2023年4月28日). 2023年4月29日閲覧。
- ^ アデレード市内 みどころスポット南オーストラリア州政府観光局、カンタス航空、2018年12月2日閲覧。
- ^ ““大熊猫外交”完成历史使命”. qkzz.net. 2016年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月4日閲覧。
- ^ “Official book tells untold stories of the giant panda”. チャイナデイリー (2019年2月21日). 2019年8月4日閲覧。[出典無効]
- ^ a b “米中関係、パンダが緩和? 米国の動物園、3年の滞在延長が決定…中国に年間約5200万円”. 東京新聞 (2020年12月8日). 2021年7月30日閲覧。
- ^ 戦後60年に去来したブームたち エンタなブーム、月刊基礎知識 2005年2月号、自由国民社
- ^ a b c 特集:パンダ貸します ナショナルジオグラフィック日本版 2006年7月号
- ^ a b とくダネ!:中国「パンダ外交」に踊る日本 J-CAST 2008年4月30日
- ^ a b c なぜパンダはみんな帰ってしまうのですか エキサイトニュース 2005年10月4日
- ^ “神戸のパンダ急死、中国側へ4100万円賠償”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年10月2日). オリジナルの2010年10月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ Eats Shoots, Leaves and Much of Zoos' Budgets - The New York Times、 2006年2月12日
- ^ “カナダ・カルガリー動物園、パンダを中国に返還へ 笹の調達が困難に”. CNN.co.jp (2020年5月13日). 2023年2月25日閲覧。
- ^ “パンダの「大毛」と「二順」、カナダから無事帰国”. AFP通信 (2020年12月1日). 2023年2月25日閲覧。
- ^ 毎日新聞 2017年6月26日号 東京朝刊[1]
- ^ 榊原昭二『昭和語―60年世相史』朝日新聞社〈朝日文庫〉、1986年4月20日。ISBN 978-4-02-260370-8。[要ページ番号]
- ^ 榊原昭二『'80年代 世相語ガイド〈下〉』朝日新聞出版〈朝日ブックレット〉、1983年10月。ISBN 978-4-02-268016-7。[要ページ番号]
- ^ 鷹橋信夫『昭和世相流行語辞典』旺文社、1986年11月10日。ISBN 978-4-01-070753-1。[要ページ番号]
- ^ “パンダ(ぱんだ) - 日本語俗語辞書”. Lookvise.inc.. 2019年1月31日閲覧。
- ジャイアントパンダのページへのリンク