ガーナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 23:44 UTC 版)
概要
ガーナは脱植民地化が活発であった最中の1957年、サハラ以南のアフリカにおいて初めて現地人が中心となってヨーロッパの宗主国から独立を達成した国家である。
イギリス領ゴールド・コーストと呼ばれていたが、独立に際して国名を「ガーナ」に変更した。
また、初代大統領クワメ・エンクルマは、アフリカ統一運動を推進したことで有名。
ダイヤモンドや金を産出しており、カカオ豆の産地としても有名。2010年12月から沖合油田で原油・ガス生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。
国名
正式名称は英語で、Republic of Ghana(リパブリク・オブ・ガーナ)。通称、Ghana [ˈɡɑːnə] ( 音声ファイル) ガーナ)。
日本語の表記は、ガーナ共和国。
漢字表記では、加納。
植民地時代はイギリス領ゴールド・コースト(黄金海岸)と呼ばれていたが、独立に際してかつて西アフリカに栄えたガーナ帝国から新国名を採用した。
アカン系諸民族は中世以降、中部ギニアの金産地を掌握し、いくつもの王国を建てた(アシャンティ王国、アクワム、デンキイラ、アキムなど)。彼らの祖先は北からやって来た古代ガーナ王国の末裔との伝説を持っているため、アカン系民族が多数を占める旧イギリス領黄金海岸の独立時にガーナ共和国との国名が採用された[3]。
「ガーナ」とは現地語で「戦士王」という意味になる。
歴史
紀元前後
この地域が注目されるのは、紀元前2000年紀のキンタンポ文化の出現からである。新石器時代後期に位置づけられるこの文化の人々は、森林とサバンナの境界地帯に住み、交易を行いつつも狩猟と採集によって暮らしていた。2世紀ごろからハニ遺跡で製鉄が行われたことがわかっている。
13世紀以前
現在のモーリタニアとマリを部分的にカバーする内陸国としてガーナ王国が8世紀 - 13世紀に存在した。サヘル地域にいたアカン族が現在のガーナを含むギニア湾以西の海岸付近にやってきたのは11世紀ごろである。
13 - 16世紀
13世紀から16世紀は、ベゴーをはじめいくつかの町がサハラ交易の一端を担ったとも思われるが、ボノ・マンソに見られるように地域的なものにとどまった町もあったと思われる。また、西方からアカン人、モシ人、エウェ人、ゲン人(英: Mina-Gen people、グベ人 - 英: Gebe people)が移住し、先住民と対立しその後圧迫していった。
15世紀にはポルトガル人が到来し、エルミナなどに城塞を築き、奴隷貿易の拠点とした。その後、金が産出することがわかると「黄金海岸」と呼ばれるようになった。その後、ドイツ人やデンマーク人、イギリス人、オランダ人が来航し、金と奴隷の貿易を奴隷制が廃止される19世紀まで続けた。大西洋三角貿易により多くの人々がアメリカ大陸に連行され、1776年に独立したアメリカ合衆国においては、労働力として使われることとなった。
アシャンティ王国
17世紀には奴隷貿易で力を蓄え、ヨーロッパ人から購入した銃火器で周辺の民族に対して優位に立ったアシャンティ人のオセイ・トゥトゥがアシャンティ王国を建設し、大いに繁栄した。王国は18世紀から19世紀初頭にかけて全盛期を迎え、海岸部のファンテや北部のダゴンバなどを支配下に収めて現在のガーナの版図の大部分を勢力下とした。しかし、19世紀初頭にイギリスをはじめとする各国が奴隷貿易を禁止すると、アシャンティの主力輸出品は金となった。
イギリス植民地
19世紀初頭には、この地域の海岸部にはケープコーストを拠点とするイギリスとエルミナを拠点とするオランダ、そしてデンマークの3か国が勢力を持っていた。このうち有力なのはイギリスであったが、奴隷貿易の禁止と海岸部のファンテ人の支配権をめぐってアシャンティとの関係が悪化し、1824年には第一次イギリス・アシャンティ戦争が勃発した。この戦争によってイギリスは沿岸部の支配権を確立し、1850年にはデンマークの砦を買収してさらに支配を固めたが[4]、このころから再びアシャンティとの関係が悪化した。アシャンティはオランダ人と協力することでイギリスと対抗していたが、1872年にオランダがエルミナをはじめとするこの地方のすべての拠点をイギリスに売却し撤退したため交易ルートが途絶し、経済的に打撃をこうむった。このため同年第二次イギリス・アシャンティ戦争が勃発したが、イギリスは勝利を重ね、1874年にはアシャンティの首都クマシに入城して講和が締結された。この戦いのあと、イギリスは沿岸部の開発を進め、一方アシャンティは権威の失墜により勢力は大幅に縮小した[5]。
イギリス領ゴールドコーストへ
アフリカ分割が激化した1896年、イギリスは3度アシャンティに侵攻し、国王プレンペー2世を捕らえセーシェルへと流罪にした。この時点でアシャンティはイギリスの保護下に置かれたが、1900年にホジソン総督がアシャンティのレガリアである「黄金の床几」を要求したことで全土に及ぶ大反乱が勃発した[6](黄金の床几戦争)。この戦争でアシャンティは完全に滅亡し、イギリス領ゴールド・コーストは従来の沿岸部に加えアシャンティや北部などを編入した。
英領ゴールド・コーストにおいては、従来の金や木材に加え、1879年にテテ・クワシによって持ち込まれたカカオ豆の栽培が急速に普及し、1911年には世界最大の生産国となった[7]。こうした産品の輸出でゴールド・コースト経済は繁栄し、鉄道の敷設や学校の建設などが行われた。
イギリスは第二次世界大戦に連合国の1国として勝利したものの、その国力は衰退しており、これを受けて民族主義の気運が高まった。1947年には独立を目的とした「連合ゴールドコースト会議」が設立され、クワメ・エンクルマが1949年には会議人民党を設立した。部族間の争いを越えて独立を標榜する会議人民党は人々の広範な支持を得て、1951年の選挙では圧倒的過半数を占める第一党となった。
独立以降
1956年にはエンクルマの下に自治政府が成立し、翌1957年に東隣のイギリス領トーゴランドと合わせて独立を達成し、ブラック・アフリカ初の独立国となった。独立当初のガーナはイギリス国王を立憲君主に頂く英連邦王国であったが、1960年に共和制へ移行し、エンクルマが初代大統領となった。エンクルマは汎アフリカ主義を掲げ、冷戦下において社会主義圏(東側諸国)やギニアとの友好関係を強化し、財政強化に努めたが、債務超過など失政を招き1966年にクーデターで失脚した。政権を掌握した国家解放評議会はエンクルマの政策から脱し、1969年には選挙を実施した。同選挙でコフィ・ブシアが首相に選ばれ民政に移管したが、反エンクルマ政策によるアカン人中心主義的な政策が国内の諸民族の反発を招き、1972年にはイグナティウス・アチャンポン将軍がクーデターを起こし、政権を握った。しかし国情は安定せず、経済停滞から幾度か政変が発生した。
1979年に軍事クーデターを起こしたジェリー・ローリングス空軍大尉が政権を掌握し、民政移管期間を挟んで1981年に完全な軍政を敷いた。ローリングスはガーナ経済再建のためにIMFや世界銀行の構造調整計画を受け入れ、所得格差の拡大とともにガーナ経済と政治の安定化を達成した。ローリングスは複数政党制を認めた1992年の選挙で大統領に選出され、軍政から民政移管した。これを受けて、政治をボイコットしてきた野党も国政に参加を表明し、国情は安定を迎えた。ローリングスは2001年まで大統領を務め、後任には選挙に勝利した新愛国党のジョン・アジェクム・クフォーが大統領に就任した。
近年
政情が安定し、自由選挙により平和的に政権が移譲されるようになったことから、現在は西アフリカにおける数少ない議会制民主主義国として知られるようになった。2009年の選挙では国民民主会議が勝利し、ジョン・アッタ・ミルズが大統領に就任した[8]。2012年7月24日、ミルズは首都アクラの病院で急死。副大統領のジョン・ドラマニ・マハマが大統領に昇格した[9]。2016年の選挙では新愛国党が政権を奪回し、ナナ・アクフォ=アドが大統領の座に就いた[10]。
2020年9月25日、ガーナ東部の分離独立派が西トーゴランドの独立を宣言した[11]。
政治
ガーナは国家体制として共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1992年4月28日に制定されたもの。
行政
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は4年。3選は禁止。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは大統領により任命されるが、国民議会の承認が必要である。首相職はかつて存在したが、現行憲法下では存在しない。
立法
立法府は一院制の国民議会。定数は230議席で、議員は小選挙区制に基づき国民の直接選挙によって選出される。議員の任期は4年である。
ガーナは1992年に現行憲法が施行されて以降、複数政党制が認められており、実質的には二大政党制が機能している。1つは自由民主主義を掲げる中道右派の新愛国党(NPP)、もう1つは社会民主主義を掲げる中道左派の国民民主会議(NDC)である。その他の勢力は二大政党ほどの影響力は持っていないが、比較的有力なものに人民国民会議(PNC)がある。かつてクワメ・ンクルマ初代大統領のもとで権勢を振るった会議人民党(CPP)は現在も存続しているが、勢力は弱体化している。
司法
司法府の最高機関は最高裁判所であり、その下に高等裁判所、巡回裁判所、地方裁判所が置かれている。
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- ^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月18日閲覧([1])
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- ^ “ガーナ大統領選 野党候補の元外相が当選”. 産経新聞. 共同通信. (2016年12月10日). オリジナルの2019年4月14日時点におけるアーカイブ。 2021年8月31日閲覧。
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- ^ a b c d e 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p261 二宮書店 平成28年1月10日発行
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- ^ “ガーナで中国人大量逮捕 身勝手すぎる理由とは?”. NewSphere. (2013年6月11日) 2021年8月31日閲覧。
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- ^ 「チョコレート産業 甘み少ない農家」『読売新聞』2020年2月28日6面
- ^ 日本林業技術協会『森林・林業百科辞典』p777 丸善 2001年 全国書誌番号:20184122
- ^ “ガーナ国移行帯地域森林保全管理計画調査”. JICA (1999年). 2021年6月30日閲覧。
- ^ “ガーナが事実上のデフォルト、大半の対外債務支払いを停止”. ロイター通信. 2022年12月20日閲覧。
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- ^ Relationship: Ghanaian women rejecting men with ‘scary’ names, 2 Oct 2015, GhanaWeb.
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- ^ 高根 & 山田 2011, pp. 151–152
- ^ 高根 2003, pp. 162–168
- ^ ハリル率いるモロッコ、カメルーン、チュニジアがW杯へ 出場5カ国決定/アフリカ最終予選サッカーキング 2022年3月30日
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