承和の変とは? わかりやすく解説

じょうわ‐の‐へん【承和の変】

読み方:じょうわのへん

承和9年(842)伴健岑(とものこわみね)・橘逸勢(たちばなのはやなり)らが謀反企てたとして、二人流罪となり、仁明天皇皇太子恒貞親王廃され事件藤原良房陰謀といわれ、事件後、良房の甥(おい)の道康親王皇太子となった


承和の変

読み方:ジョウワノヘン(jouwanohen)

平安初期政治事件


承和の変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/07 15:15 UTC 版)

承和の変(じょうわのへん)は、平安時代初期の842年承和9年)に起きた廃太子を伴う政変。藤原氏による最初の他氏排斥事件とされている事件である。


注釈

  1. ^ 『続日本後紀』承和9年7月17日条によれば、伴健岑と橘逸勢が阿保親王に計画を相談したのが7月10日のこととされる。翌日の11日には右近衛大将が皇太后の兄(逸勢の従兄弟)である大納言橘氏公から中納言藤原良房に交替している(いずれも兼官)。
  2. ^ 左大臣藤原緒嗣、右大臣源常、大納言藤原愛発、同橘氏公、中納言藤原吉野に次ぐ。
  3. ^ 大伴親王(淳和天皇)の皇位継承権の発生は、両親ともに桓武天皇の皇子皇女であった恒世親王の誕生に由来するとする説がある[5][8]。つまり、この説では恒世親王を将来的に天皇に即位させるために父親である淳和天皇が即位したことになり、恒世親王が亡くなって皇位を継がないことになると、嵯峨上皇の異母弟である淳和天皇とその子孫の立場も弱体化することになる。
  4. ^ 藤原三守の姉である藤原美都子は藤原冬嗣の妻、妻の橘安万子は皇太后橘嘉智子の姉にあたる。なお、鷺森浩幸は恒貞親王の東宮傅であった三守を嵯峨上皇の側近ゆえに恒貞親王即位に向けた中心人物で、仁明天皇や藤原良房にとっての大きな障害であったとして、西本昌弘とは異なる立場を見出している[10]
  5. ^ 左大臣藤原緒嗣、大納言藤原愛発、中納言藤原吉野。大納言橘氏公は皇太后橘嘉智子の兄であるが息子の橘真直がこの変で処分を受けている。
  6. ^ ただし、橘嘉智子の行動は道祖王を廃太子にした藤原光明子と異なって消極的関与に過ぎない(事件の主体を仁明天皇と良房ら周辺の公卿達とする)見方をする研究者もいる[13][14]
  7. ^ 鷺森浩幸は仁明天皇にとって良房を「ほぼただ一人といってもよい協力者」であったと表現している[16]。仁明天皇の伝記を執筆した遠藤慶太も「藤原良房の陰謀」とするこれまでの旧説を仁明天皇の責任から目を閉ざし、政変の意義を矮小化しようとするものであるとしている[17]

出典

  1. ^ a b 高田淳「平安前期の政変」『日本古代史研究事典』東京堂出版、1995年、P125.
  2. ^ a b 遠藤慶太「『続日本後紀』と承和の変」『古代文化』52巻4号、2000年、P46./遠藤『平安勅撰史書研究』(皇學館大学出版部、2006年)所収
  3. ^ 玉井力「承和の変について」『歴史学研究』286、1964年
  4. ^ 福井俊彦「承和の変についての一考察」『日本歴史』260、1970年。同「淳和朝の嵯峨派官人」『史観』126、1992年
  5. ^ a b 河内祥輔『古代政治史における天皇制の論理』(吉川弘文館)初版:1986年、P172-178./増補版:2014年、168-173.
  6. ^ 保立道久『平安王朝』岩波書店、1986年、P35.
  7. ^ 神谷正昌「承和の変と応天門の変-平安初期の王権形成-」『史学雑誌』111-11、2002年
  8. ^ 安田政彦「大同元年の大伴親王上表をめぐって」(初出:『続日本紀研究』第268号(1993年6月)・所収:「大伴親王の賜姓上表」(改題)『平安時代皇親の研究』(吉川弘文館、1998年)
  9. ^ 西本、2022年、P217-219.
  10. ^ 鷺森浩幸「藤原緒嗣の辞職上表」『天皇と貴族の古代政治史』塙書房、2018年、P358-359.
  11. ^ 西本、2022年、P219-225.
  12. ^ 西本、2022年、P204-207.
  13. ^ 上村正裕「しりへの政と皇后-八・九世紀を中心に」『日本歴史』第844巻、日本歴史学会、2018年。後、上村『日本古代王権と貴族社会』八木書店、2023年に分割所収。2023年、418-419・427・450.
  14. ^ 勝浦令子『橘嘉智子』吉川弘文館(人物叢書)、2022年。
  15. ^ 鷺森浩幸「藤原緒嗣の辞職上表」『天皇と貴族の古代政治史』塙書房、2018年、P358-360.
  16. ^ 鷺森浩幸「藤原緒嗣の辞職上表」『天皇と貴族の古代政治史』塙書房、2018年、P359.
  17. ^ 遠藤慶太『仁明天皇』、吉川弘文館〈人物叢書〉、2022年、P113-122.


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