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山口稲床

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/11 02:09 UTC 版)

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山口稲床
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下豊後介
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 山口宿禰
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山口 稲床(やまぐち の いなとこ)は、平安時代前期の貴族宿禰官位従五位下豊後介

経歴

仁明朝において春宮坊大属として春宮恒貞親王に仕えるが、承和9年(842年承和の変が発生して恒貞親王が春宮を廃されると、稲床も連座して安房権目に左遷された。承和14年(847年)承和の変で罰せられた者に対して入京が許されており、稲床もこれに従って入京したか。

文徳朝仁寿4年(854年従五位下・豊後介に叙任される。豊後介在任中には、同国守・石川宗継が百姓の財物を不法に奪ったことについて、朝廷に対して証明を行っている[1]

清和朝貞観9年(867年内位の従五位下に至る。

官歴

六国史』による。

脚注

  1. ^ 『日本三代実録』貞観元年12月27日条

参考文献




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