橘真直とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 橘真直の意味・解説 

橘真直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/22 06:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
橘真直
時代 平安時代前期
生誕 弘仁7年(816年
死没 仁寿2年6月20日852年7月10日
官位 従四位下相模権守
主君 仁明天皇文徳天皇
氏族 橘氏
父母 父:橘氏公、母:田口継麿娘・真仲
兄弟 岑継真直、岑雄、影子、時子、房子、忠子
葛直
テンプレートを表示

橘 真直(たちばな の まなお)は、平安時代前期の貴族右大臣橘氏公の三男[1]官位従四位下相模権守

経歴

承和年間の初頭に内舎人に任ぜられ、のち左馬大允を経て、承和7年(840年従五位下叙爵。承和8年(841年肥後介に任ぜられると、翌承和9年(842年筑後権介仁明朝中盤は地方官を務める。承和12年(845年中務少輔に遷ると、のち右兵衛佐右近衛少将蔵人頭と一転して京官を歴任し、嘉祥2年(849年)従五位上、嘉祥3年(850年)正月には正五位下と仁明朝末に続けて昇叙された。

同年3月に仁明天皇の崩御に伴って蔵人頭を止められると、4月には右少将から阿波守に転じ、翌嘉祥4年(851年)正月に相模権守と、文徳朝では再び地方官を務める。同年11月従四位下に叙せられるが、翌仁寿2年(852年)6月20日卒去享年37。最終官位は相模権守従四位下。

人物

唱歌を得意とし、仁明天皇に憐れみ愛しまれたという[2]

官歴

六国史』による。

脚注

  1. ^ 日本文徳天皇実録』仁寿2年6月20日条による。『尊卑分脈』では橘岑継の子とする。
  2. ^ 『日本文徳天皇実録』仁寿2年6月20日条
  3. ^ 『近衛府補任』

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「橘真直」の関連用語

橘真直のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



橘真直のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの橘真直 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS