から‐よう〔‐ヤウ〕【唐様】
唐様
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/29 17:24 UTC 版)
唐様(からよう)とは、
- 和風ではなく中国風であること。唐風と同義。
- 例)「唐様にいへば風流瀟洒」(当世書生気質)
- 日本の伝統的な寺院建築の様式の一つ。禅宗様を参照。
出典
- 梅棹忠夫ほか 『日本語大辞典』(講談社、1989年)ISBN 4-06-121057-2
- 可成屋 『すぐわかる日本の書』(東京美術、新版2008年(初版2002年))ISBN 978-4-8087-0734-7
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唐様
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 06:35 UTC 版)
唐様とは中国の書風のことで、禅僧による唐様を特に墨跡と呼ぶ。 墨跡 詳細は「禅林墨跡」を参照 墨跡は鎌倉時代から江戸時代まで続いた。鎌倉時代は宋の書風で、中国の禅僧の間に流行した蘇軾、黄庭堅、米芾、張即之などの書を指し、晋唐の規範や伝統から解放された自由剛健なもので、奈良朝以来行われた線の軟らかい王羲之風のものとは全く趣きを異にするものである。宋の滅亡後、元が興ったが、禅僧の往来は益々頻繁であった。室町時代は元の書風で、雪村友梅・寂室元光らは趙孟頫の影響を受けている。この時代も禅宗は公家や武家の帰依を受け発展を続けた。また五山文学が盛行するとその禅僧の書風に日本趣向が加味された五山様が流行した。江戸時代の墨跡は、大徳寺・妙心寺の禅僧と黄檗派の禅僧の書を言い、明の文徴明・祝允明・董其昌の書風が加味され、主として武家、漢学者、僧侶の間に用いられた。黄檗僧の中で隠元隆琦・木庵性瑫・即非如一の3人は特に能書で黄檗の三筆と称された。 唐様 墨跡の中国書法が北島雪山・細井広沢らに伝わり唐様として発展していく。唐様は儒者・文人などに用いられ、寂厳・池大雅らが継承し、江戸時代末期には幕末の三筆と呼ばれる市河米庵・巻菱湖・貫名菘翁の3人へと展開していった。この3人は武家や儒者に信奉者が多く、特に江戸の市河米庵は諸大名にも門弟があり、その数5000人とも言われた。江戸時代中期頃から書法の研究が進み、これまでの元・明の書風から晋唐の書風を提唱する者が現れ、巻菱湖・貫名菘翁らは晋唐派であり、市河米庵などは明清派であった。この2派の流れは明治時代になってからも続き、この幕末の三筆により明治時代以降、多くの著名な書家が綿々と輩出されている。 詳細は「日本の漢字書家一覧」を参照 「売り家と唐様で書く三代目」とは、初代が築き上げた家産を3代目が使い果たして没落する様を皮肉った川柳であるが、ここでは唐様が遊芸の象徴として扱われている。
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