黄檗派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 02:37 UTC 版)
黄檗宗の渡来僧がもたらした黄檗美術のうちでも、頂相は、濃厚な色彩表現と顔貌の正面性、その陰影法に特徴がある。これは明代に江南地方で活躍した肖像画家曽鯨の流れを汲む様式である。隠元が日本にもたらした「費隠通容像」は、曽鯨の門弟のひとり張琦の作で、当時の画家に衝撃をもって迎えられた[要説明]。同じく曽鯨門とされる楊道真は隠元に随行してきた画人で、主に隠元像を手がけた。その弟子となった喜多長兵衛は隠元・木庵・即非頂相を中心に制作した。道矩の子の喜多元規は黄檗派の代表格に挙げられ[要出典]、黄檗僧に限らず、在留唐人や大名など各地に200以上の肖像画を残している。「隠元禅師像」・「独立和尚像」・「鍋島直条像」などがある。黄檗画像の表現法は、のちの鶴亭や片山楊谷などが受け継がれ南蘋派などと混交して独特の画法を生んだ[要出典]。またその写実的表現は長崎版画(長崎絵)にも影響を与えた。
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