黄檗三打
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 09:59 UTC 版)
臨済は大悟する以前、ひたすら坐禅の修行に励む日々を送っていた。 三年ほど経ったある日、首座の和尚(一番上の弟子)に「黄檗老師に参禅して教えを受けたことがあるか」と尋ねられた。臨済は「何をたずねたらよいかわかりませんので、参禅したこともありません」と答えると、首座和尚は「どうして老師のところに行って、仏法の限界はどういうものかとたずねないのか」といい、臨済はいわれるままに黄檗のところに参禅したのだが、その質問も終らぬうちに黄檗の三十棒を喰らってしまった。首座が「どうだった」とたずねたので、臨済が今の出来事をありのまま報告すると、首座は「もう一度、同じ質問をして来い」という。このようにして、三度、老師に参禅して三度とも痛棒を喰らった臨済は、もはや自分に禅を探究する資格はなきものと絶望し、黄檗山を下ることを決意して別れの挨拶のため黄檗のもとを訪れると、老師は「他所へ行ってはならぬ。ぜひとも高安の灘に住んで居られる大愚和尚を訪ねるがよかろう」と指示された。 臨済は言われるがまま大愚のもとを訪ね、「いったい私に落ち度があったのでしょうか」と言った。すると大愚は「黄檗は、まるで老婆が孫でも可愛がるようじゃないか。お前のためにくたくたになるまで計らってくれているのに、その上わしのところまでやってきて、落ち度があったかどうかなどと聞くとは何ごとだ」といった。臨済はこの大愚の一言で大悟した。 大悟した臨済は大愚に向かって「なんだ、黄檗の仏法といってもこんなわかりきったことなのか」とうそぶいた。すぐに大愚は臨済を引っつかんで「この寝小便たれ小僧め!たった今、落ち度があったのでしょうか、などと泣きごとを言ったくせに、こんどは黄檗の仏法は端的だなどと言う。いったい何が分かったのだ。さあ言ってみろ!さあ言ってみろ!」と問いた。すると臨済は大愚の脇腹を三発ばかり拳で殴り、本物だと分かった大愚は掴んだ手を突き放し、「そなたの師は黄檗和尚だ。わしの知ったことではない。帰れ!帰れ!」と言った。 臨済は再び黄檗のもとに戻って事の顛末を報告すると、黄檗は「何とかしてあいつに会って、今度一発お見舞いしてやりたいものだ」といった。すると臨済は「やりたいものだもあるものか。今度といわず、今すぐ喰らえ」と言うや否や黄檗の横面に思い切り平手打ちを喰らわした。殴られた黄檗は大笑して「この気狂いめ!よくもわしに向かって虎のひげを撫でるようなことをしおったな」と言った。 臨済はすかさず一喝した。これに黄檗は心から満足し、「侍者よ、この気狂いを禅堂に連れて行け」と言った。これが黄檗の印可(悟りを証明すること)の言葉だった。
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