WWF、WWE時代
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「WWE・クルーザー級王座 (1991-2007)」の記事における「WWF、WWE時代」の解説
レスラー戴冠回数戴冠日付番組試合形式ビリー・キッドマン 4 2001年07月03日 SmackDown! Single X-パック 2 2001年07月30日 RAW Is War Winner Take All ビリー・キッドマン 5 2001年10月11日 SmackDown! Single タジリ 1 2001年10月22日 RAW Single ※ WWFクルーザー級王座に改称 ※ 2002年3月25日、タジリの移籍に伴い、SmackDown!の管轄となる ビリー・キッドマン 6 2002年04月04日 SmackDown! Single タジリ 2 2002年04月21日 Backlash 2002 Single ※ WWEクルーザー級王座に改称 ザ・ハリケーン 2 2002年05月16日 SmackDown! Triple Threat ジェイミー・ノーブル 1 2002年06月23日 King Of the Ring 2002 Single ビリー・キッドマン 7 2002年11月17日 Survivor Series 2002 Single マット・ハーディー 1 2003年02月23日 No Way Out 2003 Single レイ・ミステリオ 6 2003年06月05日 SmackDown! Single タジリ 3 2003年09月25日 SmackDown! Single レイ・ミステリオ 7 2003年12月30日 SmackDown! Single チャボ・ゲレロ 3 2004年02月15日 No Way Out 2004 Single ジャクリーン 1 2004年05月06日 SmackDown! Intergender チャボ・ゲレロ 4 2004年05月16日 Judgment Day 2004 Intergender チャボ・クラシック 1 2004年05月20日 SmackDown! Triple Threat レイ・ミステリオ 8 2004年06月17日 SmackDown! Single スパイク・ダッドリー 1 2004年07月29日 SmackDown! Single フナキ 1 2004年12月12日 Armageddon 2004 Single チャボ・ゲレロ 5 2005年02月20日 No Way Out 2005 Six Man Elimination ポール・ロンドン 1 2005年03月31日 SmackDown! Battle Royal ナンジオ 1 2005年08月06日 Velocity Single フベントゥ 4 2005年10月09日 No Mercy 2005 Single ナンジオ 2 2005年11月15日 - Single フベントゥ 5 2005年11月25日 SmackDown! Single キッド・キャッシュ 1 2005年12月18日 Armageddon 2005 Single グレゴリー・ヘルムズ 3 2006年01月29日 Royal Rumble 2006 Open Invitational チャボ・ゲレロ 6 2007年02月19日 No Way Out 2007 Cruiserweight Open ホーンズワグル 1 2007年07月22日 The Great American Bash 2007 Cruiserweight Open ※ 2007年9月28日、スマックダウンでゼネラルマネージャーのヴィッキー・ゲレロにより、ホーンスワグルから剥奪。
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WWF / WWE時代
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「ジェリー・ブリスコ」の記事における「WWF / WWE時代」の解説
長年に渡ってNWAで活動してきたブリスコ兄弟だが、オーナーのジム・バーネットを失脚させてGCWの主宰者となったオレイ・アンダーソンとの確執もあり、1984年4月9日、保有していたGCWの株式をバーネットらと共にWWFのビンス・マクマホンに売却。同年7月14日からはWTBSで放送されていたNWAジョージア地区のプロレス中継がWWFのプログラムに取って代わり、ブラック・サタデーと呼ばれる事件となる。これにより、ブリスコ兄弟はNWAを離れ、当時全米侵攻を推進させていたWWFに参画することとなった。 当初はベビーフェイスのベテラン・タッグチームのポジションでディック・マードック&アドリアン・アドニスのノース・サウス・コネクションなどと対戦していたが、やがてジャックはプロレス界から身を引き、ジェリーも現役を引退してWWFのロード・エージェントに就任。以後、パット・パターソン、トニー・ガレア、ジャック・ランザらと共に、WWEの重鎮としてバックステージを取り仕切った。 1990年代末から2000年代初頭にかけてのWWFアティテュード路線の最盛期には、"悪のオーナー" ミスター・マクマホンの側近役をパターソンと共に演じ、自らも『Raw is War』のレギュラーキャストとして番組に出演。マクマホン率いる権力ヒールユニット「コーポレーション(The Corporation)」の一員となり、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンやミック・フォーリーらを陥れるべく姦計をめぐらすなど、マクマホンに媚びへつらう悪の幹部として観客のブーイングを煽った。 選手として本格的にリングに復帰することはなかったものの、2000年6月6日にクラッシュ・ホーリーからWWFハードコア王座を奪取。WWFマットにおける初戴冠を果たしたが、タイトルに欲を出したパターソンの裏切りに遭い王座から陥落。同年6月25日のキング・オブ・ザ・リングでは、マクマホンの命によりパターソンとの女装でのイブニング・ガウン・マッチによるハードコア王座戦が組まれた(インディアンの血を引いていることから、コメンテーターのジェリー・ローラーはブリスコを見て「ポカホンタス!」などと叫んでいた)。 WCWとの視聴率戦争の終結と同時期にアングル上からは姿を消し、以降はプロデュース業務に専念している。2008年3月29日にはプロレス界における功績を称え、兄ジャック・ブリスコと共にWWE殿堂に迎えられた(インダクターはジョン・レイフィールド)。近年は、WWEのタレント・スカウト部門を担当していた。
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