WWFの低迷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 16:12 UTC 版)
「マンデー・ナイト・ウォーズ」の記事における「WWFの低迷」の解説
破竹の勢いのWCWに比べ、一方のWWFは低迷していた。1996年6月10日のロウの視聴率の勝利を最後に、その後およそ2年近くナイトロの後塵を拝していた。 1996年11月4日のロウで放送された内容は議論を呼ぶものであった。スティーブ・オースチンが、敵対する負傷したブライアン・ピルマンの家を訪問した。オースチンは到着するやいなや、ピルマンの友人たちに攻撃されるが、簡単に彼らを仕留める。次に彼はピルマンの家に侵入しようとする。この時別のカメラがピルマンの自室にあり、アナウンサーが実況中継をしていた。オースチンがピルマンの家の扉を蹴破って侵入した時、ピルマンは9mmのグロック銃をオースチンに向けた。その次の瞬間、テレビ画面は真っ暗になり、画像が復帰した時にはピルマンは混乱していた。現場のディレクターはビンス・マクマホンに「2、3発の発砲音を聞いた」とリポートした。この一連の筋書きは、内容として誤解される部分が非常に多かった。その上、ピルマンの発した "Fucking" という単語が検閲されなかった。翌週WWFは、USAネットワークに謝罪し、ピルマンもコメントについて謝罪した。 1997年3月10日、番組名を『ロウ・イズ・ウォー』に改名。 団体に不満を持っていると噂されていたブレット・ハートが、ケージマッチに敗れた後、ビンスをマットに押し倒して大荒れしたエピソードや、ネーション・オブ・ドミネーションとD-ジェネレーションXの人種差別的な落書きを用いたストーリーラインなど、1997年を通じて、ロウとWWFの番組には議論の多い要素が多かった。このため、WCWの番組は快調に連勝していった。 さらに、スティーブ・オースチンはPPV『サマースラム』で首を負傷してしまい、3ヶ月間は試合に出ることができなくなった。『レッスルマニア13』の後にオースチンをトップスターにしようという団体の目論みは外れてしまった。しかし、WWFがWCWに勝利する最後のチャンスが、翌1998年の『レッスルマニア14』でやってくるのであった。
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