WWF〜ROH〜TNAなど
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「ブランドン・シルベストリー」の記事における「WWF〜ROH〜TNAなど」の解説
ジム・ケトナーとホミサイドからの訓練を経たうえで、1998年の10月10日にプロデビュー。2000年から2001年までWWFを主戦場として活動した。この時期のWWFでの試合は全てが負け試合であった。 その後、ROHへ参戦。2002年7月17日、フィラデルフィアにて、ROH世界ヘビー級王座をかけたダグ・ウイリアムス、クリストファー・ダニエルズ、スパンキーらとの60分アイアンマン・マッチを制し、同王座の初代王者となった。 2002年9月、ZERO-ONEに初来日し、初戦がいきなりタイトルマッチとなった。レオナルド・スパンキーからNWA・UPW・ZERO-ONE認定インターナショナルジュニアヘビー王座を奪取。その後、全日本プロレスに移り、ケンドー・カシンが保持していた世界ジュニアヘビー級王座に挑戦した。 2004年、プロレスリング・ノア初参戦。9月10日の日本武道館大会にて金丸義信が所持するGHCジュニアヘビー級王座に初挑戦した。以降、同団体に継続参戦する。リチャード・スリンガーと組んで、金丸・杉浦貴組の保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座にも挑戦した。 2006年にTNAに移籍し、リングネームをセンシ(Senshi)に改名。 2007年4月にプロレスリング・ゲリラ(PWG)に初参戦。All Star Weekend V – Night Oneにてデイビー・リチャーズと対戦、勝利を収めている。 6月22日、23日に開催されたIWAミッドサウスのキング・オブ・ザ・デスマッチに出場し、この団体のライトヘビー級王座への挑戦としてブランドン・トーマセリーと一戦交えるも、敗れ去った。 2008年初頭にTNAを退団。1月にPWGに戻りAll Star Weekend 7 – Night OneでPWG世界王座を賭け王者のブライアン・ダニエルソンと対戦。初挑戦にして勝利、PWG世界王座を戴冠している。エル・ジェネリコに初防衛を果たした。また、日本の団体への参戦を希望し2月に新日本プロレスに参戦、RISEに加入するも、怪我により欠場。同時にPWG王座を返上している。 8月にPWGに復帰、All Star Weekend 7 – Night Oneで世界王座に挑戦するが、獲得には至らなかった。 9月に新日本プロレスに復帰し、G・B・Hに加入しヒール転向。タイガーマスクを下しIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。 11月にPWG主催のBattle of Los Angelesに参加。初戦でロデリック・ストロング、2回戦で吉野正人、準決勝でナイジェル・マッギネス、決勝でクリス・ヒーローを破り優勝を果たした。 2009年1月のレッスルキングダムにて元王者のリマッチを受け敗北。IWGPのベルトを手放している。
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