69式ロケットランチャー
![]() 破片榴弾が装填された69式ロケットランチャー(中央)と成形炸薬弾(奥のキャリングケースと手前) | |
69式ロケットランチャー | |
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種類 | 対戦車擲弾発射器 |
製造国 |
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設計・製造 | 中国北方工業公司 |
仕様 | |
種別 | クルップ式無反動砲 |
口径 | 40mm(発射機の砲口) |
使用弾薬 | 弾頭を参照 |
装弾数 | 1発 |
全長 | 910mm |
重量 | 5.6kg |
有効射程 | 920m(弾頭に依存する) |
歴史 | |
製造期間 | 1970年-現在 |
配備期間 | 1970年-1990年代半ば(中国) |
関連戦争・紛争 |
カンボジア内戦 中越戦争 ソ連のアフガニスタン侵攻 スリランカ内戦 その他多くの戦争・紛争 |
バリエーション | 69-I式 |
69式40mm対戦車ロケットランチャー(中国語: 69式40毫米反坦克火箭筒、以後は69式と呼称)は、中国の中国北方工業公司が製造する対戦車擲弾発射器である。厳密にはロケットランチャーではなく、無反動砲の一種である。
ソビエト連邦製のRPG-7を無断でコピー生産したものであり、1970年代から中国人民解放軍に配備されるとともに、輸出も広く行われている。愛称の「四零火」は、口径の40ミリとロケットを意味する「火箭」の略称。
開発
中国人民解放軍の最初の携帯対戦車兵器は、ソ連製のRPG-2をライセンス生産して1956年に制式採用された56式ロケットランチャーであった。しかし、56式(とソ連から供与されていたRPG-2)は射程が短いうえに弾道が山なりだったために命中精度が低く、中ソ国境紛争で相まみえたソ連製T-62をはじめとする新世代主力戦車の正面装甲を貫通させることは不可能であったので、中国軍は56式の後継となる携帯対戦車兵器を大至急必要とした。
中国は1960年代初頭からRPG-7のリバースエンジニアリングを進め、1964年には試作品が完成した。1970年代中盤から、中国軍の歩兵小隊への配備が始められた。
特徴
69式はRPG-7のコピーであるため、基本的な形状や性能はほぼ同一であるが、細かいところに独自の改良が加えられている。
まず、地面や防御用遮蔽物に依託して射撃する際に弾頭の安定翼が地面や障害物に触れないように二脚が装着されており、これは、のちにRPG-7V1/D2以降のロシア製RPG-7にも採用された。
また、トリガーグリップの後部に設置されていた支持用グリップを廃止し、その代わりに砲身上部にキャリングハンドルを追加して携行性を向上させている。
このほかにも発射筒の全長をRPG-7の950mmから40mm短縮しており、本体重量も5.6kgにまで軽量化されている。
弾頭
69式の弾頭にはいろいろな形状と種類が存在するが、構造と形状は基本的にRPG-7のそれと同一である。
名前 | 種類 | 重量 | 直径 | 有効射程 | 貫徹能力(RHA換算) | 対人危害半径 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
69式 | 成形炸薬弾 | 2.2kg | 85mm | 300m | 110mm(65°) | ||
69-I式 | 150mm(65°) | ||||||
69-II式 | 2.9kg | 94mm | 200m | 180mm(65°) | |||
69-III式 | 2.3kg | 290m | |||||
84式 | 1.8kg | 85mm | 350m | ||||
84-I式 | 多目的成形炸薬弾 | 2.7kg | 92mm | 1,800m | 150mm(60°) | 20m | 対人/対戦車兼用弾頭 |
84-II式 | 焼夷榴弾 | 2.7kg | 76mm | 1,500m | |||
対人焼夷爆発弾(HEI) | 対人弾頭 | 15m | 炸裂時に、900個の鉄球と3,000個の焼夷剤ペレットをばらまく。 | ||||
69-IF式 | 榴弾 | 2.1kg | 75mm | 1,500m | |||
69式75mm空中爆発弾 | 対人弾頭 | 15-20m | 地面に着弾後、バウンドして高さ2mで起爆し、800個の鉄球をばらまく。 |
運用

69式は、1979年の中越戦争において初めて実戦投入された。主にベトナム人民軍の陣地攻撃に使用され、中国人民解放軍の兵士からは高く評価された。
このほかにも広く輸出されており、アルバニア、エストニア、ラトビア、リトアニア、マルタ、アルジェリア、グルジア、イラク、イラン、パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、北朝鮮などに輸出されている。
また、1979年からのソ連のアフガニスタン侵攻に際しては、CIAが中国から購入した69式を、56式自動歩槍(中国製AK-47)とともにムジャーヒディーンに供与した[1]。
現代の戦場ではかつてほどの効果を発揮できなくなっているため、1980年代中ごろには中国軍向けの生産を終了し、現在では口径80mmの新型対戦車ロケットランチャーPF-89や87式グレネードランチャーへの更新が進められている。しかし、国境付近の民兵組織には依然として配備されているほか、暗視式照準器を使用可能とするなどの改良を加えた69-I式が輸出用に生産されている。そして、ソ連やその他の国で生産されたRPG-7と共に、世界中の反政府組織やテロリスト、軍閥が現在もなお使用している。
登場作品
脚注
- ^ Rottman, Gordon L. (2010). The Rocket Propelled Grenade. Weapon 2. Osprey Publishing. ISBN 978-1-84908-153-5. p.64
参考文献
- 床井雅美『現代サポート・ウェポン図鑑』徳間書店 2008年 ISBN 978-4-19-892836-0
関連項目
外部リンク
- 日本周辺国の軍事兵器(中国製69式) (日本語)
- エストニア国防軍公式サイト(中国製69式) (エストニア語)
「Type 69 RPG」の例文・使い方・用例・文例
- 「リカレントエデュケーション」とは生涯学習のことで、新しい概念ではなく、1969年にスウェーデンの教育学者が発案したものである。
- 1969年に宇宙飛行士が月面を歩いた。
- 1969 年ロンドン大学の日本研究科に入ると友人の多くから変わり者扱いされた.
- 僕の背は 169 センチです.
- 1690年のアイルランドの大同盟戦争における戦い
- ルイ14世によってスペインと神聖ローマ帝国とイングランドとオランダと他の州に対して行われた侵略戦争(1689-1697年)
- 60歳から69歳まで
- 最初の月面着陸は1969年7月20日のアポロ計画によって達成された
- 1969年、ヘルシンキで行われた米国とソビエト社会主義共和国との間での交渉で、両国での核兵器の保有を制限することを目的とされた
- 69年から96年のローマ帝国の王朝で、ベスパシアヌスとその息子であるティトゥスとドミティアヌスの時代にあたる
- バチカン市国から承認なしでコンスタンティノープルの家長になったPhotiusを非難した、その結果、東の、そして、西の教会の間の分離を沈殿させた869における協議会
- 権威によって話す時の、ローマ法王の絶対確実性を宣言した1869年−1870年のバチカン公会議
- 人は、1969年に最初に月に足を踏み入れた
- 体重が169から175ポンドの間のプロボクサー
- フランスの恋愛作品を書いた作曲家(1803年−1869年)
- アイルランドの化学者で、空気には重量があると確信し、元素と化学反応の定義が化学を錬金術から分離するのを促した(1627年−1691年)
- フラマン人の風景画家(1525年−1569年)
- 首相としてのファシスト・ドイツに対する慰撫の政策を進めた英国の政治家(1869年−1940年)
- 人当たりのいい機知にとんだ英国の政治家で、大部分は、その息子への手紙で知られる(1694年−1773年)
- イタリア人の1769年から1774年までの教皇で、支持がカトリック・ヨーロッパに残っているにもかかわらず敗れ、教会が非宗教的な王子の手に落ちる原因となった(1705年−1774年)
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