ハイド
19世紀ヨーロッパのピアノ文化において「コンポーザー=ピアニスト」と呼ばれ、華々しく活躍した人々がいる。リストやショパン、ルビンシテインなど、超絶的な技巧を要する自作品を自ら演奏し聴衆を魅了した。日本ではほとんど知られていないことだが、オーストラリアにはこうした「コンポーザー=ピアニスト」の伝統を20世紀に引き継ぐ芸術家たちがいる。これは、オーストラリアが新興国として欧州の音楽文化を取り入れる際、20世紀の前半までイギリス由来の保守的な音楽教育に踏みとどまっていたことと大きな関係がある。ミリアム・ハイドもまた、そうした「コンポーザー=ピアニスト」の伝統を引き継ぐ一人である。彼女は20世紀をほぼ覆うように生きながら、その音楽には色濃く19世紀的なロマンチシズムを残し、技巧的で華麗な作風と、キャラクターピースに見られる描写性・抒情性に富んだメッセージを投げかける。作品はオーストラリア国内で頻繁に演奏される他、彼女が体系付けをはたしたグレードシステムのシラバスにより、そのピアノ教育における功績が生き続けている。
1913年アデレード生まれ。母親から教育を受けたあとエルダー音楽院でウィリアム・シルバーに師事する。ディプロマ取得後、1928年に南オーストラリア賞を受賞。大学からの奨学金を得てロンドンのロイヤルカレッジに3年間留学する。イギリスではアーサー・ベンジャミンにピアノを、ゴードン・ジェイコブに作曲を師事した。作曲賞を三度受賞し、BBCなどロンドンの主要オーケストラと共に自作の二つのピアノ協奏曲を演奏した。
1936年に南オーストラリアのアデレードに戻ると、劇音楽のためのオーケストラ作品を数多く手がけ、中でも《ワルツを踊るマティルダの幻想曲》はよく知られるようになった。
その後、より広い活動領域を求め、シドニーに居を構え長年にわたり作曲家、演奏家、指導者、審査員、講師、数々の音楽雑誌への寄稿者として活躍する。作品には、初級からディプロマまでのレベルに渡る数多くのピアノ作品を中心とし、50を越える歌曲、室内楽、ヴィオラ、クラリネット、フルートのためのソナタ、オーケストラ作品がある。
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