Microsoft GamesおよびMicrosoft Game Studios(2000–2011)として
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「Xbox Game Studios」の記事における「Microsoft GamesおよびMicrosoft Game Studios(2000–2011)として」の解説
ゲーム専門部門が設立される前からマイクロソフトは自社に「Games Group」があり、デベロッパーと作品の買収を行っていた。同社は1999年に『MechWarrior』ゲームシリーズを開発するFASA Interactiveを買収し、同年にゴルフゲームの『Links』シリーズを開発するAccess Softwareと『Microsoft Flight Simulator』ゲームを手掛けたAces Game Studioを買収している。Games Groupはアンサンブルスタジオ(『エイジ オブ エンパイア』『エイジ オブ ミソロジー』)やDigital Anvil ( 『Starlancer』)との長期的なパブリッシング契約も締結していた。マイクロソフト傘下でFASA InteractiveはFASA Studioに改称され、Access SoftwareはSaltLake Games Studioになった。 2000年3月頃、マイクロソフトはGame Groupを「Microsoft Games」という完全な別部門に移行し、マイクロソフト内の他のゲーム関連プロジェクトを統合した。これは初代Xboxの発表と並行して行われ、 Microsoft GamesがXboxとMicrosoft Windowsの両方の作品のデベロッパーおよびパブリッシャーの役割を担うことになった。マイクロソフトのエンターテインメント部門で役職を担ったロビー・バックが上級副社長に任命され、旧Game Groupのメンバーで同グループによるいくつかの買収に貢献したエド・フライズが新部門の副社長に任命された。シェーン・キムは同部門のゼネラルマネージャーを務めた。2001年にこの部門はMicrosoft Game Studios(MGS)に改称された。 FASA StudioとSalt Lake Games Studioは、Microsoft Games Studioに残った。Digital Anvilとアンサンブルスタジオは、それぞれ2000年と2001年にマイクロソフトに買収された。部門設立後の2000年6月には『Halo:Combat Evolved』を開発中だったバンジーを買収し、この買収によりパソコンでの販売が計画されていたHaloはマイクロソフトのパブリッシング作品となり、2001年のXbox発売時にローンチタイトルとして発売された。2001年にはレースゲーム『Forza』シリーズ開発を行う「Turn 10 Studios」が設立された。2002年9月、Microsoft Games Studiosは任天堂プラットフォーム向けに幅広く開発を行っていたレアを買収した。2003年、マイクロソフトはEAスポーツレーベルがXbox向けスポーツゲームを開発する上ではるかに強力な立場にあることを認識し、再編の一環として、スポーツゲームを自社開発していたMicrosoft Game Studios内の約78人の従業員をレイオフし、2004年にはSalt Lake Game Studio(当時の名称はIndie Games)をテイクツー・インタラクティブに売却した(Indie GamesはIndie Builtになった)。 ピーター・ムーアは2003年にXboxコンソールやMGSのXboxとPC向けゲームなどを含むHome and Entertainment部門の副社長に任命され、バックの直属となった。エレクトロニック・アーツのような大手パブリッシャーをXboxプラットフォームに引き込むことに加えて、ムーアはMGSパブリッシングのサポートを受けて日本の開発者に声をかけて日本でのXbox普及に努め、『ファントムダスト』と『ブリンクス・ザ・タイムスイーパー』などのゲームが発売された。 2004年頃、MGSはマイクロソフトのWebゲームポータル「MSN Games」、MSNメッセンジャーのチャットクライアント上、Xbox Liveプラットフォーム向けのカジュアルゲームを開発する社内スタジオ「Cabonated Games」を設立した。キムとFriesは、Xboxプラットフォーム初の大規模RPGとなる『フェイブル』(2004年)について、MGSが同作の販売契約を開発元のLionhead Studiosと締結するために尽力した。その後、2006年にMGSはXbox 360向け『フェイブル』続編を確保しようと『フェイブル』の資産とともにLionhead Studiosを買収した。MGSは、Digital Anvilが2003年に開発した『Brute Force』から2年後の2005年にDigital Anvilのスタッフをより大きなスタジオに統合し、2006年に同スタジオを完全に閉鎖した。FASA Studioは、2007年5月に同スタジオ最終作『シャドウラン』が発売されてから三ヶ月半後に閉鎖された。 2007年、MGSはゼネラルマネージャーのフィル・スペンサーが率いる欧州オフィスをイギリスのレディングに開設することを発表した。ムーアはサンフランシスコのベイエリアに家族と戻り、エレクトロニック・アーツに再び入社するために2007年7月にマイクロソフトを去った。ムーアの後任として、ドン・マトリックがMGSを含む「Xbox and Games Business」の新副社長に任命された。2007年後半、バンジーはMGSから独立して株式非公開企業となり、MGSがHaloの権利を保持することになった。バンジーはMGSのために『Halo 3:ODST』(2009)と『Halo:Reach』(2010)の2つのHaloゲームの開発を続けた。同時に、MGSはバンジー抜きで今後のHalo作品を開発するために社内スタジオ「343 Industries」を設立した。 2008年、MGSはCarbonated Gamesを解散し、Xbox Live Arcade向けの「高品質デジタルコンテンツ」を開発する社内スタジオ「Xbox Live Productions」の設立を発表した。 マイクロソフトは、 2000年代後半の金融危機の影響でパソコンの販売が鈍化したため、2009年1月に全部門で最大5000人のレイオフを発表した。MGS内では、2009年初頭に『Halo Wars』が完成した後、アンサンブルスタジオを解散することを既に計画していたが、新たなレイオフによりMSGはAces Game Studioも解散することになった。マイクロソフトは2009年5月にバンクーバーを拠点とするBigParkを買収し、同スタジオを使って、Xbox360用Kinectセンサー向けの最初のゲームのいくつかを開発した。2009年後半、引退したシェーン・キムの後任として、フィル・スペンサーがMGSのコーポレートバイスプレジデントに昇進した。 2010年、MGSはWindows Phoneデバイス向けのゲームおよびエンターテインメントマルチメディアの開発に特化したモバイルゲームスタジオ「MGS Mobile Gaming」を設立した。また、傘下のレアがバーミンガムのディグベス地区に新スタジオをオープンした。
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