LSTによる貨車航送とは? わかりやすく解説

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LST(戦車揚陸艦)による貨車航送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:44 UTC 版)

洞爺丸」の記事における「LST戦車揚陸艦)による貨車航送」の解説

1945年昭和20年12月24日には、相次ぐ事故による貨車航送力の回復遅延業を煮やした進駐軍は、貸与したLST戦車揚陸艦)(排水量計画満載)3,590トン)の車両甲板レール敷設して車両渡船として使用するように命じた。これは、船首から貨車積卸しをする方式で、車両甲板船首端では1線、車両甲板では3線となる船内配線で、連合軍ノルマンディー上陸作戦時にイギリス貨車フランスへ航送するとき用いた方法であった。早速、 三菱重工横浜造船所改装工事が行われたが、建築物等線路近付き過ぎてならない限界を示す建築限界無視した軌道配置を採らざるを得ず、さらに車両甲板急勾配があるなど、問題多く小型無蓋車トムとト限定で、積載車両数トム換算20となった函館側は有川第4岸壁の裏側の、未完成の第5岸壁LST専用とし、青森側は、当初空襲可動橋使用不能となっていた青森第3岸壁LST専用として、1946年昭和21年3月31日から2隻のLST就航したその後1946年昭和21年7月1日からは青森側を、夏泊半島東側小湊工事未完車両渡船岸壁北側急造したLST専用桟橋移し函館有川) - 小湊航路とした。なお、小湊では、戦時中石炭列車航送増強のため、1943年昭和18年12月から車両渡船岸壁築造工事進められていたが、終戦工事中断していた。しかしこのLSTは、喫水船首で2.65m、船尾で3.97mと浅いため、風に流されやすく、1947年昭和22年1月27日にはQ022号が平館海峡東岸、貝埼沖で座礁大破し以後稼働できず、同年8月20日には船舶運営会引き渡された。残るQ021号はその後稼働はしたが、片道8時間要し1日1往復しかできず、給油のため往復8日間もかけて横須賀まで行く有様で、逼迫し青函航路窮状にとっては焼け石に水であったこのため戦後建造W型H型車両渡船連続就航目前控えた1948年昭和23年2月には運航終了となり、同年2月26日アメリカ軍返還された。

※この「LST(戦車揚陸艦)による貨車航送」の解説は、「洞爺丸」の解説の一部です。
「LST(戦車揚陸艦)による貨車航送」を含む「洞爺丸」の記事については、「洞爺丸」の概要を参照ください。

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