DNAデータ偽造事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:40 UTC 版)
「山本美保 (拉致被害者)」の記事における「DNAデータ偽造事件」の解説
2003年1月10日、「調査会」(特定失踪者問題調査会)が設立され、山本美保は北朝鮮による拉致が濃厚な失踪者としてリストに入った。美保の父山本光男はこの年の3月、脳腫瘍で倒れ、5月19日には不帰の人となったが、第2弾となる署名は、2003年5月から年末までで12万5,000筆を集めた。2003年10月16日、新潟県警察は大澤孝司とともに山本美保を拉致濃厚と発表した。2004年(平成16年)1月29日、特定失踪者問題調査会は埼玉県警察に対し、告発状を提出している。 2004年3月5日、山梨県警察本部の丸山潤警備一課長に突如呼び出された山本美保の家族は、丸山から「山本美保失踪17日後の1884年6月21日、山形県飽海郡遊佐町の海岸に漂着していた身元不明遺体(以下「Y」と略)の骨髄と、美保の双子の妹である森本美砂の血液のDNA鑑定を行った結果が一致した」と告げられた。水死体Yは、顔面の一部が白骨化していた。遺体Yは山形大学での司法解剖ののち、1984年6月23日、火葬され、遺灰は遊佐町の帝立寺に埋葬されていた。当時の新聞報道では、Yは「死後1カ月から2カ月、20歳から40歳の女性で、右腕が根本から、足が両太ももから切取られていた」と報道されていた。DNA鑑定に使用した山形大学の骨粉は、退官した教授の机の引き出しに入っていたもので、教授が私的に収集したものであった。 一方、丸山たちから家族への説明も終わらないうちにフジテレビが全国ニュースで「山本美保は20年前に死亡していた」と報じた。丸山潤警備一課長は突如家族を同伴して記者会見を開いたが、カメラを回さない状態で、質問も受け付けないという一方的に警察側の結論を伝える異例の会見であった。 通常ならば、DNA鑑定は家族の了解があって初めて行われるべきものであるが、山本美保のケースでは家族の知らない間に鑑定が行われていた。また、警察はDNA鑑定の結果の一致のみを理由に美保とYが同一人物であり、美保は「事件性のない自殺による死である可能性が高い」と発表されたが、非公開のDNA鑑定書のみが唯一の「証拠」とされている。なお、DNA鑑定書は公開のみならず複写も許されていない。加えて、山本美保とYの身長や体型、下着など身に付けていた遺留品などが全く異なっていることが家族の証言や客観的事実などで判明しており、関係者からは、別人である可能性が高いと指摘されている。美保の家族がYの遺留品を直接閲覧したのは、記者会見のあった1か月後の4月7日であったが、家族は「これは美保のものではない」と述べている。 こののち、家族は美保の人権救済申し立てをおこない、「山本美保さんの家族を支援する会」も立ち上げられた。今日、山梨県警察では山本美保を「拉致の可能性を排除できない事案に係る人々」のうちの1人として扱っている。
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