CMが放送されなかった日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:21 UTC 版)
「コマーシャルメッセージ」の記事における「CMが放送されなかった日」の解説
1989年(昭和64年・平成元年)1月7日、8日は昭和天皇崩御のため、各放送局の取り決め事項で、服喪期間中の派手な歌舞音曲を控えるという観点から全ての民間放送は通常放送・CMは一切自粛し、追悼特番(関係のある映画など)やニュースなどを放送していた(俗にテレビ東京が「昭和天皇崩御の日も通常放送をしていた」といわれるがこれは誤りで、開始時間こそ他局と比べ遅かったものの、他局にならい追悼特番を放送していた)。この特別編成態勢のもとで民放がCMを全国規模で全面カットした時間は、日本テレビ系列における1989年1月7日5時30分すぎから1月8日分の放送終了(キー局では1月9日1時30分頃)までの44時間が最長。1月9日から通常の編成に戻りCM放送も再開されたが、服喪期間に華美なCMを放送することは好ましくないという理由で草花の映像などといった「風景映像」に差し替えたスポンサーが多かった。大喪の礼が開かれた2月24日も儀式開催中に限りCM放送を一切中止した。 1995年1月17日の阪神・淡路大震災発生当時も、17日と18日の近畿地方の一部の民間放送局がCMを自粛していた。震源地の所在局であるサンテレビは、1月17日 - 22日に全ての定時放送・CMを休止して震災関連の特別番組編成に差し替えた。他地区が報道特別番組の編成にCMを含んで放送する中、MBSテレビは1月17日8時30分にCM放送をすべて中止し、準備の整った10時台以降、被災地の生活に関連した情報を中心として、大阪ガス、関西電力などからの震災発生時の対応指示の告知などに差し替えて伝えた。全国ネット放送の時間帯には、キー局であるTBS(のちのTBSテレビ)から送出されたCMを環境映像などで埋めた。この毎日放送の試みは「全国ネットでは伝えられない、伝えきれないローカルの情報を差し挟めるタイミングはCM枠しかない。この枠を有効的に活用する」という考え方に基づいたものである。毎日放送の社内マニュアルにもその旨が明記されているという。ABCテレビも当初はCM中のつなぎ映像として「風景映像」を放送したが、上記の毎日放送の英断に刺激され、正午以降のCM枠を同様のローカル情報枠として活用し始めた。その他の在阪3局は環境映像を流す局や、通常通りCMを流す局とに分かれた。CM枠の再開後もしばらく在阪各局では、公共広告機構(のちのACジャパン)の中野浩一と増田明美の「空き缶ポイ捨て禁止」CMが継続的に流され、企業が商品やサービスのプロモーションを目的として制作したCMはほぼ全面的に自粛となっていた。 2011年3月11日の東日本大震災に際して、民放各局は14時46分の地震発生直後からCMを全面カットして、報道特別番組を中心とした特別編成態勢を取った。在京民放5局がCMをカットして放送した時間は、最短でもテレビ東京の33時間、最長でテレビ朝日の74時間に及んだ。そのほかの3局は、TBSが62時間、フジテレビと日本テレビが61時間と、いずれも昭和天皇崩御時を上回った。
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