CG・アニメーションの普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 06:51 UTC 版)
「デジタルアニメ」の記事における「CG・アニメーションの普及」の解説
1970年代に誕生したマイクロプロセッサが、大量生産により極めて安価に入手できるようになってくると、それを多数利用した並列計算のほうが大型コンピュータなどより費用対価格比が良い、といったようになり、その応用として、複雑な相互関係がある科学技術計算などよりも、とにかく多数の画像を生成したいというCGアニメーションのほうが手頃といったようなこともあり、阪大の大村らによって1982年に試作が完成したLINKS-1、その発展拡大であるLINKS-2などが日本では作られた(「トーヨーリンクス」の名の(後半の)由来でもある)。 1981年、金子満が設立した、日本初の商業CGスタジオJCGL(ジャパン・コンピューター・グラフィックス・ラボ)ではテレビアニメ作品として、動画や彩色の行程にコンピュータを取り入れた世界初のデジタルアニメ『子鹿物語』の制作を1983年に開始したが、当時のコンピュータの性能では描画品質が劣り、生産性も低く、オープニング・エンディングと第2話を除き、セルアニメによる制作に移行している。 1983年、藤幡正樹はコンピュータグラフィックス・アニメーション作品として『Mandala1983』を発表、カナダで開催された「ビデオ・カルチャー展」のCG部門でグランプリを獲得している。また、同年『ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅』が放送、初のCGを取り入れた作品だったが、あくまでも彩色をコンピュータで行っただけであり後述のデジタル彩色の先駆けとなった作品である。さらに、同年公開の劇場版アニメ「ゴルゴ13」ではトーヨー・リンクスの協力でタイトル画面とヘリコプターによる空襲がCGで描かれたが、技術的制約から生ポリゴンしか描画できなかったCGの質感があまりにも無機質であったため一部の導入に留まった。 その後、1983年から1984年にかけて1985年、高橋克雄(東京中央プロダクション・映像作家)が伊勢丹の協力のもと、マルチシンクロシステム型映像展示を行い、コンピュータグラフィックスによる映像作品を電子ポスターとして発表。 1986年、ソニーの協力のもと東京中央プロダクションは複数台のコンピュータを同期させて巨大マルチ画面の中をデジタルアニメが通過していく迫力ある大型マルチシンクロシステム型映像展示に成功。銀座ソニービルにて公開され、話題となった。 1987年、金子満がメトロライトスタジオの設立に参加。CGによる視覚効果技術に貢献するなどアメリカで活躍し、日本でも本格的なSFX技術の研究が広がる。『ゴルゴ13』や『SF新世紀レンズマン』では、特定のシーンのみ2DCGや3DCGで作成した描画をセルアニメと合成する形態で異次元の視覚効果を狙った演出が行われている。 1988年の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』では、回転するスペースコロニーに3DCGが導入されたが、セル画との質感の差を軽減するためCGモデルの表面に手描きの背景美術を貼り付けるテクスチャマッピングが利用された。 この時期にはアニメ関係で本格的なCG技術を有する会社はなかったため、テレシネや光学合成など映像編集技術を有する会社に委託するため費用がかかることから、長編映画での限定的な導入にとどまっていた。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のCGは、ポストプロダクションであるトーヨーリンクスが担当しており、映像は1989年の『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』に流用されている。
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