CDB小保方研究室時代
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「STAP研究と騒動の経過」の記事における「CDB小保方研究室時代」の解説
2013年 3月1日 - 小保方晴子は研究ユニットリーダーとなり、「細胞リプログラミング研究ユニット」が発足。なお、研究室の工事が終わる10月までは笹井研究室で活動。 3月10日 - ネイチャー誌へ再投稿。 3月13日 - 米国仮特許出願(US 61/779,533)。 3月 - 若山照彦が小保方指導の元、FLS-T のSTAP細胞を作成。 4月24日 - 国際特許出願(PCT/US2013/037996)、笹井芳樹が発明人に加わる。レター論文の内容が主である特許を、BWHらとは別に理化学研究所単独で出願することも検討されていたが、以前の米国仮出願と合わせて国際出願された。 5月28日 - 「STAP現象をヒト体細胞に適用する計画」を若山研究室から小保方研究室に変更申請。 5月~8月 - 遺伝子データ解析を実施。 8月 - レター論文における解析内容の高度化から若山は責任著者辞退を願い出たが、笹井により慰留されている。 10月31日 - 国際特許公開(WO2013163296)。 12月20日 - ネイチャー誌に論文がアクセプトされる。なお、査読段階で編集者から「この研究に非常に強い関心を持っている」と言われていた。 12月25日 - 論文アクセプトや研究内容、文部科学省や報道発表への報告について、笹井がCDB広報に連絡。 2014年 1月 - 小保方ユニットに専属スタッフが付く。 1月下旬 - 笹井芳樹と小保方晴子が内閣官房を訪問し、STAP研究について説明した 1月24日 - 記者クラブへ報道日程が通知される。 1月28日 - 理化学研究所の記者会見、報道発表が行われる。。 1月29日 - 報道解禁は翌日午前3時であったが、英国で解禁日破りがあり日本でも報道解禁。 1月30日 - Nature (505: 641-647, 676-680) にSTAPについての論文が掲載される。 1月30日 - チャールズ・バカンティ、小島宏司らの研究グループが脊椎損傷で足が動かなくなったサルにSTAP細胞を移植したところ驚くべき効果がでたと語り、テレビ、新聞などで報道される。 1月30日 - 共著者の大和雅之が研究に関与するセルシード社の株が高騰し、同社の新株発行を引き受けていた会社が売り抜けたことから、後に不自然な金の動きとして報道されるようになる。 1月31日 - 一連の過熱報道に対し、研究ユニットは声明を発表。報道関係者へ理解と自粛を求めた。 2月1日 - チャールズ・バカンティ、小島宏司らの研究グループが羊治療を始めたと報道される。 2月5日 - バカンティのチームが新生児の皮膚線維芽細胞から作成したSTAP細胞の可能性がある細胞の写真を公表した。 2月上旬 - 若山照彦が文部科学省において、STAP研究における自身の貢献と今後の研究戦略を語る。
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