CCHとTDC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 15:59 UTC 版)
「インヴィンシブル級航空母艦」の記事における「CCHとTDC」の解説
CVA-01級の計画中止後も護衛巡洋艦の計画は生き残ったが、艦隊から正規空母が消滅することになったことに伴い、設計は全面的に改訂された。1967年12月には幕僚要求事項が作成されたが、航空運用能力は強化され、軽空母(CVL)に近いサイズまで大型化した。この計画は指揮巡洋艦(CCH)と称されるようになっており、1968年1月には3つの設計案が作成された。1つめは艦後半部のみに航空艤装を備えた航空巡洋艦(12,750トン)、2つめは全通飛行甲板を備えた案(17,500トン)、3つめはこれに海底反跳に対応したソナーを追加した案(18,700トン)であった。参謀部は3つめの設計を採択し、1970年末には概略設計が完了した。 一方、当時イギリスでは垂直離着陸機の開発が進められており、1966年にはイギリス空軍向けの実用機としてホーカー・シドレー ハリアーが初飛行し、1969年には引き渡しを受けていた。また早期から艦上運用も模索されており、1963年2月の時点で、既に試作機であるホーカー・シドレー P.1127が「アーク・ロイヤル」での離着艦に成功していた。また空軍のハリアーGR.1攻撃機の戦力化が進むにつれて、艦艇での運用適応テストが順次に実施されており、1969年9月にはコマンドー母艦「ブルワーク」、1970年3月には空母「イーグル」、1971年3月には「アーク・ロイヤル」でも運用適応テストが実施された。 ハリアーは、航続距離や兵装搭載量で通常離着陸(CTOL)機に劣る点が多かったものの、Tu-95「ベア」のような洋上哨戒機を追い払うための要撃機としては有望と考えられており、1969年、デビッド・オーエン海軍担当政務次官は、同機を新しい対潜巡洋艦からも運用するように提言した。この提言は、この時点では採択されなかったものの、上記のように艦型が拡大されるとともに本格的に検討されるようになっていった。この頃には、計画は全通甲板巡洋艦(Through Deck Cruiser, TDC)と称されるようになっていた。 1973年4月17日、1番艦「インヴィンシブル」が発注された。建造途上の1975年5月にはシーハリアーの導入が正式に決定され、これに伴い、発艦支援設備としてスキージャンプ勾配が同艦に追加されることとなった。これらの設計変更の影響もあり、同艦の就役は予定より2年遅れの1980年7月にずれ込むこととなった。就役時には、対潜空母と称されるようになっていた。
※この「CCHとTDC」の解説は、「インヴィンシブル級航空母艦」の解説の一部です。
「CCHとTDC」を含む「インヴィンシブル級航空母艦」の記事については、「インヴィンシブル級航空母艦」の概要を参照ください。
- CCHとTDCのページへのリンク