ヴェネツィアFC
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/20 05:51 UTC 版)
| ヴェネツィアFC | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Venezia Football Club S.r.l.[1] | |||
| 愛称 | Arancioneroverdi (オレンジ・黒・緑), Leoni Alati (有翼獅子), Lagunari (礁湖) | |||
| クラブカラー | オレンジ 黒 緑 | |||
| 創設年 | 1907年 | |||
| 所属リーグ | セリエB | |||
| 所属ディビジョン | 2部(2025-26) | |||
| 昨季リーグ順位 | セリエA 19位(2024-25) | |||
| ホームタウン | ヴェネツィア | |||
| ホームスタジアム |  スタディオ・ピエル・ルイジ・ペンツォ | |||
| 収容人数 | 7,450 | |||
| 代表者 |  ダンカン・ニーデラウアー | |||
| 監督 |  エウゼビオ・ディ・フランチェスコ | |||
|  | ||||
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
ヴェネツィア・フットボール・クラブ(Venezia Football Club S.r.l.)は、イタリア・ヴェネト州ヴェネツィアを本拠地とするサッカークラブである。2025-26シーズンはセリエBに所属。
歴史
1987年から2002年まで、パレルモで会長を務めていたマウリツィオ・ザンパリーニがクラブを所有。ACヴェネツィアと名乗っていた1999-2000シーズンは、元日本代表・名波浩が在籍していた。
2005年、それまでのACヴェネツィア (Associazione Calcio Venezia 1907) からSSCヴェネツィア (Società Sportiva Calcio Venezia) にチーム名を変更した。
しかし、かねてより経営の危機が囁かれていた2008-09シーズン終了後、二度目の破産。FBCウニオーネ・ヴェネツィア (Foot Ball Club Unione Venezia) と改名し再結成のうえ、2009-10シーズンにセリエDから再スタートした。2011-12シーズンにセリエDで優勝したのに続き、翌シーズンのレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネでもタイトルを獲得しレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネに昇格した。
2014-15シーズンは12位で終えたが、翌シーズンのレガ・プロへの登録が叶わず降格となった[2]。2015年10月9日、かつてボローニャFC会長を務めたアメリカ人弁護士のジョー・タコピーナをはじめとする投資家グループにより買収され[3]、ヴェネツィアFC (Venezia Football Club S.r.l.d) に改称された。
2020-21シーズンのセリエBでは5位となると、続く6チームによる昇格プレーオフのトーナメントを勝ち抜き、2001-02シーズン以来となる20年振りのセリエA復帰を決めた[4]。
ユニフォーム
セリエAに昇格する2021-22シーズンからサプライヤーをKappaに変更した。所属選手ではなくモデルを起用し、まるでファッション雑誌のような見た目が話題になり公式ストアで完売となった[5]。バレンシアガやシュプリームのデザインを担当する「ビューロー・ボルシェ」というスタジオがデザインに関わっている[6]。
タイトル
国内タイトル
- コッパ・イタリア : 1回 
    - 1940-41
 
- セリエB : 2回 
    - 1960-61, 1965-66
 
- セリエC : 1回 
    - 1955-56
 
- レガ・プロ : 1回 
    - 2016-17
 
- コッパ・イタリア・レガ・プロ : 1回 
    - 2016-17
 
- セリエD : 1回  
    - 2011-12
 
国際タイトル
- なし
過去の成績
| シーズン | ディビジョン | コッパ・イタリア | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||
| 1997-98 | セリエB | 38 | 17 | 13 | 8 | 51 | 31 | 64 | 2位 | ベスト32 | 
| 1998-99 | セリエA | 34 | 11 | 9 | 14 | 38 | 45 | 42 | 11位 | ベスト16 | 
| 1999-00 | 34 | 6 | 8 | 20 | 30 | 60 | 26 | 16位 | ベスト4 | |
| 2000-01 | セリエB | 38 | 19 | 12 | 7 | 62 | 43 | 69 | 4位 | ベスト16 | 
| 2001-02 | セリエA | 34 | 3 | 9 | 22 | 30 | 61 | 18 | 18位 | GS敗退 | 
| 2002-03 | セリエB | 38 | 12 | 12 | 14 | 41 | 47 | 48 | 13位 | GS敗退 | 
| 2003-04 | 46 | 12 | 15 | 19 | 40 | 57 | 51 | 20位 | ベスト16 | |
| 2004-05 | 42 | 7 | 14 | 21 | 33 | 58 | 35 | 21位[7] | GS敗退 | |
| 2005-06 | セリエC2・ジローネA | 34 | 20 | 9 | 5 | 49 | 27 | 69 | 1位 | — | 
| 2006-07 | セリエC1 ・ジローネA | 34 | 14 | 12 | 8 | 41 | 29 | 54 | 4位 | 2回戦敗退 | 
| 2007-08 | 34 | 13 | 5 | 16 | 38 | 41 | 43 | — | ||
| 2008-09 | 34 | 8 | 11 | 15 | 35 | 41 | 31 | 17位[9] | — | |
| 2009-10 | セリエD・ジローネC | 38 | 21 | 12 | 5 | 71 | 43 | 75 | 3位 | — | 
| 2010-11 | 34 | 21 | 6 | 7 | 69 | 42 | 69 | 2位 | — | |
| 2011-12 | 34 | 21 | 10 | 3 | 74 | 37 | 73 | 1位 | — | |
| 2012-13 | セリエC2・ジローネA | 34 | 16 | 11 | 7 | 58 | 47 | 59 | 3位 | — | 
| 2013-14 | セリエC1 ・ジローネA | 30 | 12 | 5 | 13 | 40 | 38 | 41 | 10位 | 1回戦敗退 | 
| 2014-15 | 38 | 13 | 10 | 15 | 47 | 44 | 46 | 13位[10] | 2回戦敗退 | |
| 2015-16 | セリエD・ジローネC | 38 | 27 | 9 | 2 | 89 | 26 | 90 | 1位 | — | 
| 2016-17 | セリエC1 ・ジローネB | 38 | 22 | 8 | 4 | 56 | 29 | 80 | 1位 | — | 
| 2017-18 | セリエB | 42 | 17 | 16 | 9 | 56 | 42 | 67 | 5位 | 2回戦敗退 | 
| 2018-19 | 36 | 8 | 14 | 14 | 35 | 46 | 38 | 15位 | 2回戦敗退 | |
| 2019-20 | 38 | 12 | 14 | 12 | 37 | 40 | 50 | 11位 | 3回戦敗退 | |
| 2020-21 | 38 | 15 | 14 | 9 | 53 | 39 | 59 | 5位 | 3回戦敗退 | |
| 2021-22 | セリエA | 38 | 6 | 9 | 23 | 34 | 69 | 27 | 20位 | ベスト16 | 
| 2022-23 | セリエB | 38 | 13 | 10 | 15 | 51 | 50 | 49 | 8位 | 1回戦敗退 | 
| 2023-24 | 38 | 21 | 7 | 10 | 69 | 46 | 90 | 3位 | 1回戦敗退 | |
| 2024-25 | セリエA | 38 | 5 | 14 | 19 | 32 | 56 | 29 | 19位 | 1回戦敗退 | 
現所属メンバー
- 2025年2月15日現在[11]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
 ワルテル・ノヴェッリーノ 1997-1999 ワルテル・ノヴェッリーノ 1997-1999
 ルチアーノ・スパレッティ 1999-2000 ルチアーノ・スパレッティ 1999-2000
 ミケーレ・セレナ 2008, 2014-2015 ミケーレ・セレナ 2008, 2014-2015
 フィリッポ・インザーギ 2016-2018 フィリッポ・インザーギ 2016-2018
 ステファノ・ヴェッキ 2018 ステファノ・ヴェッキ 2018
 ワルテル・ゼンガ 2018-2019 ワルテル・ゼンガ 2018-2019
 セルセ・コズミ 2019 セルセ・コズミ 2019
 アレッシオ・ディオニージ 2019-2020 アレッシオ・ディオニージ 2019-2020
 パオロ・ザネッティ 2020-2022 パオロ・ザネッティ 2020-2022
 アンドレア・ソンチン 2022 アンドレア・ソンチン 2022
 イヴァン・ヤヴォルチッチ 2022 イヴァン・ヤヴォルチッチ 2022
 パオロ・ヴァノーリ 2022-2024 パオロ・ヴァノーリ 2022-2024
 エウゼビオ・ディ・フランチェスコ 2024- エウゼビオ・ディ・フランチェスコ 2024-
歴代所属選手
 マッシモ・タイービ 1998-1999 マッシモ・タイービ 1998-1999
 ミヒャエル・コンゼル 1999-2000 ミヒャエル・コンゼル 1999-2000
 フランチェスコ・ベヌッシ 1999-2005 フランチェスコ・ベヌッシ 1999-2005
 ミケーレ・セレナ 1987-1989 ミケーレ・セレナ 1987-1989
 パオロ・トラメッツァーニ 1994-1995 パオロ・トラメッツァーニ 1994-1995
 ジャンルカ・ルッピ 1997-2001 ジャンルカ・ルッピ 1997-2001
 アレッサンドロ・デルカント 1994-95, 1996-2000, 2001-2004 アレッサンドロ・デルカント 1994-95, 1996-2000, 2001-2004
 ダニエレ・カルラッシャーリ 1998-2000 ダニエレ・カルラッシャーリ 1998-2000
 ステファノ・ベッタリーニ 1999-2002 ステファノ・ベッタリーニ 1999-2002
 ブリュノ・ヌゴッティ 1999-2000 ブリュノ・ヌゴッティ 1999-2000
 ジュゼッペ・カルドーネ 1999-2001 ジュゼッペ・カルドーネ 1999-2001
 パウロ・ダ・シルバ 2000-2001 パウロ・ダ・シルバ 2000-2001
 ロベルト・イベルツベルガー 2000-2003 ロベルト・イベルツベルガー 2000-2003
 ヨアキム・ビョルクルンド 2001-2002 ヨアキム・ビョルクルンド 2001-2002
 マウリツィオ・ドミッツィ 2016-2019 マウリツィオ・ドミッツィ 2016-2019
 シニシャ・アンジェルコビッチ 2017-2019 シニシャ・アンジェルコビッチ 2017-2019
 フランチェスコ・グイドリン 1984-1986 フランチェスコ・グイドリン 1984-1986
 クリスティアーノ・ザネッティ 1996-1997 クリスティアーノ・ザネッティ 1996-1997
 ジュゼッペ・イアキーニ 1997-2000 ジュゼッペ・イアキーニ 1997-2000
 セルジオ・ヴォルピ 1998-2000 セルジオ・ヴォルピ 1998-2000
 ファビアン・ヴァルトリーナ 1998-2002 ファビアン・ヴァルトリーナ 1998-2002
 名波浩 1999-2000 名波浩 1999-2000
 ダニエル・アンデション 2001-2002 ダニエル・アンデション 2001-2002
 パブロ・ガルシア 2002 パブロ・ガルシア 2002
 ヴァレンティーノ・マッツォーラ 1939-1942 ヴァレンティーノ・マッツォーラ 1939-1942
 パオロ・ポッジ 1989-1992, 2002-2003, 2006-2009 パオロ・ポッジ 1989-1992, 2002-2003, 2006-2009
 マルコ・デルヴェッキオ 1992-1993 マルコ・デルヴェッキオ 1992-1993
 クリスティアン・ヴィエリ 1994-1995 クリスティアン・ヴィエリ 1994-1995
 アルバロ・レコバ 1998.1-1999.6 アルバロ・レコバ 1998.1-1999.6
 フィリッポ・マニエーロ 1998-2002 フィリッポ・マニエーロ 1998-2002
 マウリツィオ・ガンツ 1999-2000 マウリツィオ・ガンツ 1999-2000
 イゴール・ブダン 1999-2002 イゴール・ブダン 1999-2002
 デヤン・ペトコヴィッチ 1999-2000 デヤン・ペトコヴィッチ 1999-2000
 フェデリコ・マガジャネス 2001-2002 フェデリコ・マガジャネス 2001-2002
 ルイス・オリヴェイラ 2005 ルイス・オリヴェイラ 2005
脚注
- ^ “Contatti”. Venezia FC. 2016年1月21日閲覧。
- ^ “レッジーナとヴェネツィア、イタリア3部リーグへの登録が果たせず”. サッカーキング (2015年7月15日). 2016年1月21日閲覧。
- ^ “U.S. lawyer Joe Tacopina buys Italian club Venezia FC”. ESPN FC (2015年10月9日). 2016年1月21日閲覧。
- ^ “ヴェネツィアがセリエA昇格決定! 退場者出すも終盤の劇的ゴールでプレーオフ突破”. サッカーキング (2021年5月28日). 2021年8月9日閲覧。
- ^ “「あまりに美しい」20年ぶりセリエA昇格、ヴェネツィアのユニフォームがイケてると絶賛され即完売”. 超WORLDサッカー (2021年7月31日). 2022年4月4日閲覧。
- ^ “オシャレユニフォームが話題のヴェネツィア、「シュプリーム」手がけるスタジオ制作のアウェイユニはホームとの対比がテーマで大注目!”. 超WORLDサッカー (2022年7月14日). 2022年7月15日閲覧。
- ^ 破産により4部へ降格
- ^ 財政不備により勝ち点1はく奪
- ^ 破産により5部へ降格
- ^ 財政不備により4部へ降格
- ^ “team” (イタリア語). Venezia FC. 2025年2月15日閲覧。
外部リンク
ACヴェネツィア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 06:32 UTC 版)
同年、ジュビロで全てのサッカーをやり尽くした感があった名波は、新天地を求め、同年夏にイタリア・セリエAのACヴェネツィアに移籍。ヴェネツィアは前年まで中心選手であったアルバロ・レコバが移籍し、その穴を埋めるべく左利きの攻撃的選手を求めていた。10月28日のコッパ・イタリア、ペスカーラ戦での決勝ゴールが移籍後初ゴールとなった。1月23日、第18節のウディネーゼ戦でリーグ戦初ゴールにして唯一のゴールを決めた。24試合に出場したが、監督交代などの影響もあり、フル出場は少なく、ベンチ入りしても出場機会の無い試合や、僅かな出場時間しか得られない試合もあった。コッパ・イタリアでは準決勝まで勝ち進むも、クラブはセリエBに降格。契約上、クラブが降格すれば退団することが決まっていたため、翌年帰国し、磐田に復帰した。 帰国後アジアカップのメンバーに召集され、「イタリア挑戦に失敗した自分を呼んで貰えて感謝している」とコメント。大会では名波を中心にした攻撃が機能し圧倒的な強さで優勝、名波自身もMVPを獲得する。コパアメリカで名波を酷評したトルシエ監督も称賛を惜しまなかった。しかし2001年に右膝半月板を痛め代表から長期離脱。トルシエ監督や国民からW杯までの復帰が待ち望まれる中、10月の欧州遠征(セネガル及びナイジェリアと対戦)のメンバーに召集され同行するも、怪我の再発が確認され試合に出場しないまま再び離脱。2002年日韓W杯の日本代表からも外れる。本人は「怪我をして外れたのではなく、実力がなかったから外された」と自分を戒めたが、実際は怪我からの復調が芳しくなかったためである。 ジーコ監督就任後、初の試合となったジャマイカ戦に招集された(背番号は8番。10番は中村俊輔が着用。)が出場は無く、その後は召集される事はなかった。一方、クラブでは、その後もジュビロの中心選手として活躍。2002年のJリーグ完全優勝(1st、2nd両ステージ制覇)にも大きく貢献した。
※この「ACヴェネツィア」の解説は、「名波浩」の解説の一部です。
「ACヴェネツィア」を含む「名波浩」の記事については、「名波浩」の概要を参照ください。
- ACヴェネツィアのページへのリンク

 
                             
                    
















































