フランチェスコ・グイドリンとは? わかりやすく解説

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フランチェスコ・グイドリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/08 16:53 UTC 版)

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フランチェスコ・グイドリン
名前
ラテン文字 Francesco Guidolin
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1955-10-03) 1955年10月3日(63歳)
出身地 カステルフランコ・ヴェーネト
ユース
ジョルジョーネ
1972-1975 エラス・ヴェローナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1975-1984 エラス・ヴェローナ (loan) 102 (14)
1977-1978 サンベネデッテーゼ (loan) 35 (3)
1979-1980 ピストイエーゼ (loan) 35 (5)
1982-1983 ボローニャ (loan) 24 (1)
1984-1986 ヴェネツィア 41 (1)
代表歴
1976-1977 イタリア U-21 5 (0)
監督歴
1986-1988 ジョルジョーネ (ユース)
1988-1989 ジョルジョーネ
1989-1990 トレヴィーゾ
1990-1991 ファーノ
1991-1992 エンポリ
1992-1993 ラヴェンナ
1993 アタランタ
1994-1998 ヴィチェンツァ
1998-1999 ウディネーゼ
1999-2003 ボローニャ
2004-2005 パレルモ
2005 ジェノア
2005-2006 モナコ
2006-2007 パレルモ
2007 パレルモ
2007-2008 パレルモ
2008-2010 パルマ
2010-2014 ウディネーゼ
2016 スウォンジー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランチェスコ・グイドリンFrancesco Guidolin1955年10月3日 - )は、イタリアカステルフランコ・ヴェーネト出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

経歴

1975年、エラス・ヴェローナFCでプロデビュー。その後は、サンベネデッテーゼ、ACピストイエーゼボローニャFCといったチームへの移籍と、ヴェローナへの復帰を繰り返す。1986年に引退(当時はSSCヴェネツィア所属)。

現役を引退した1986年にジョルジョーネ・カルチョのユースチームの監督に就任。1988年には当時セリエC2に在籍していたジョルジョーネのトップチームの監督に就任する。

ヴィチェンツァ(1994-98)時代、戦力的に恵まれているとはいえないクラブでコッパ・イタリア優勝(1996-97)、UEFAカップウィナーズカップ準決勝進出の実績をあげ、「ミラクル・ヴィチェンツァ」と称された。

その後、ウディネーゼ・カルチョの監督を務め(1998-99)、UEFAカップ出場権を確保するが、オーナーとの確執で解任される。1999-2000シーズンにはボローニャFC監督に就任。2003年まで監督を務め、常に中位を確保する安定した成績を残した。

2004年にはセリエBUSチッタ・ディ・パレルモに招聘されパレルモの監督に就任し、見事にパレルモを32年ぶりのセリエA昇格に導く。翌2004-05シーズン、優れたカウンター攻撃と戦術でチームを躍進させるが、ザンパリーニ会長から守備的な戦術と批判され、シーズン後解任の憂き目にあう。

その後、セリエBのジェノアCFCの監督に就任。ここではエンリコ・プレツィオージ会長の買収工作が発覚し、クラブは降格処分を受け、グイドリンは辞任を余儀なくされる。

2005年、ディディエ・デシャンが辞任したフランスのASモナコ監督に就任する。ここではデシャンの攻撃重視から守備重視へチームをシフトするも結果を残せず、10位に終わる。

2006-07シーズンには再びパレルモの監督に就任。エウジェニオ・コリーニアマウリを中核としてチームはまたも躍進するが、UEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得を目指すザンパリーニはグイドリンを再び解任。成績が再び悪化するとまたもグイドリンを呼び戻した。2007-08シーズンにも、ザンパリーニはステファノ・コラントゥオーノ監督を解任してグイドリンを呼び戻し、再び解任するなど、ザンパリーニ会長に振り回され続けた。

2008年9月末、セリエBのパルマ監督に就任。アルベルト・パロスキダニエレ・ヴァンタッジャートらの活躍でセリエA昇格を達成した。2009-10シーズン、昇格1年目にして8位という好成績を残したものの、シーズン終了後に退団、ウディネーゼの監督に復帰した。就任1年目の2010-11シーズンから2年連続でチームをUEFAチャンピオンズリーグ予選プレーオフ出場に導き、2012-13シーズンもUEFAヨーロッパリーグ出場権を確保する成績を収めるなど、主力の流出が続くクラブにおいて好成績を残してきた。2013年7月18日に契約を2017年6月まで延長したものの、2013-14シーズンは苦しみ13位に終わると、シーズン終了後に退任することとなった[1]

2016年1月18日、イングランドプレミアリーグスウォンジー・シティAFCの監督に就任し[2]、同シーズンの降格回避に貢献。しかし翌2016-17シーズンは第7節終了時点で1勝1分5敗の17位と低迷し、2016年10月03日に解任された[3]

クラブ歴

SSサンベネデッテーゼ・カルチョ 1977-1978 (期限付き移籍)
USピストイエーゼ1921 1979-1980 (期限付き移籍)
ボローニャFC 1982-1983 (期限付き移籍)

指導歴

脚注

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