8月下旬に向けた作戦準備
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「剣号作戦」の記事における「8月下旬に向けた作戦準備」の解説
7月14日の空襲後、陸軍空挺部隊の参加が決まり、陸海共同の剣号作戦として規模が拡大されることになった。7月27日に豊田軍令部総長は、海軍総司令長官小沢治三郎中将に対して陸軍の第1挺進団の一部を指揮下に入れるよう指示した(大海指527号)。新たに陸軍第1挺進連隊の2個中隊(約300人、指揮官:園田直大尉)と第5航空艦隊・第101航空戦隊から集めた一式陸攻30機により第2剣作戦部隊が編成された。従来の剣作戦部隊は第1剣作戦部隊と改称され、一式陸攻30機・搭乗陸戦隊300人に増強されている。第2剣作戦部隊は千歳基地を準備拠点にすることになり、陸軍部隊は8月6日に進出した。 剣作戦部隊とは別に編成されていた烈作戦部隊(指揮官:野口克己大尉)も協同作戦を行うことになった。銀河30機から成る烈作戦部隊は、松島基地を拠点として訓練中であった。装備機の半数を多銃装備型とし、残り半数はクラスター爆弾の一種である21号爆弾(子弾36個内蔵)12発で爆装、各型5機ずつの混成編隊3組で敵基地を制圧して剣作戦部隊の突入を援護する構想であった。海軍航空本部で7月中旬以降に新装備の実験が行われ、うち21号爆弾は不発が多かったため25日に対策会議が開かれている。最終時の編制は、多銃装備機・爆装機各36機に増強されていた。 8月5日に小沢海軍総司令長官・大西軍令部次長・軍令部員高松宮大佐宮らが松島基地の烈作戦部隊を視察。翌日には三沢基地で第1剣作戦部隊と烈部隊の銀河数機による総合演習の視察が行われた。吸着爆雷の吸着不良など細部に問題が残っていたが、良好な成績と認められている。大西軍令部次長は吸着爆雷の速やかな改修など要望事項への対応を約束した。小沢海軍総司令長官は同部隊を天雷特別攻撃隊と命名した。 剣号作戦の攻撃目標はサイパン島およびグアム島とされていたが、8月6日の広島市への原子爆弾投下を受けて、急きょテニアン島が追加された。陸軍による通信解析の結果、原爆投下機の出撃基地がテニアン島と判明し、同島に原爆貯蔵施設が存在すると推定されたためである。最終的に次のような陣容で作戦を実行することになった。 第1剣作戦部隊(指揮官:山岡大二少佐)第1中隊(直率) - 陸戦隊200人。攻撃目標はグアム。 第2中隊(指揮官:山内一郎大尉) - 陸戦隊100人。攻撃目標はテニアン北飛行場。 飛行隊(指揮官:国崎虔大尉) - 一式陸攻30機、搭乗員150人。 第2剣作戦部隊(指揮官:園田直大尉)第1中隊(直率) - 陸軍挺進第1連隊の200人。攻撃目標はサイパン。 第2中隊 - 陸軍挺進第1連隊の100人。攻撃目標はテニアン南飛行場。 飛行隊(指揮官:松原義人大尉) - 一式陸攻30機、搭乗員150人。 烈作戦部隊爆撃隊(指揮官:野口克己大尉) - 銀河36機(各機小型爆弾800kg装備) 銃撃隊(指揮官:土岐宗男大尉) - 銀河36機(各機20mm機銃20門装備) 作戦は木更津基地を拠点として行うこととなり、第3航空艦隊司令部は8月8日に陣頭指揮のため奈良県の大和基地から木更津基地へ移動した。第3航空艦隊では剣号作戦を正式に特攻隊と扱い、剣作戦部隊および烈作戦部隊を合わせて神風特別攻撃隊第6御楯隊を編成した。
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