8月クーデター時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/23 09:24 UTC 版)
「フェリックス・クロフ」の記事における「8月クーデター時」の解説
1991年8月19日朝、アスカル・アカエフ大統領は、メデトカン・シェリムクロフ最高会議議長、ジュマベク・アサンクロフKGB議長、クロフ内務相等、共和国の全指導者を緊急召集した。状況が不透明で、アカエフは共産党員が90%を構成する最高会議で選出されていたため、非常に狼狽していた。 シェリムクロフ最高会議議長やアサンクロフKGB議長は、事態を静観するか、国家非常事態委員会を支持することを主張した。ここで、クロフ内務相が発言し、国家非常事態委員会の行動が違憲であり、僭称者を支持することはできないと表明した。彼の立場は、決定的となった。当時、キルギス内務省は、人数に関してKGB機関及び軍部隊に優勢だった。 会議後直後、中央アジア軍管区司令官フジェンコ大将は、クロフに電話を掛け、軍法会議で脅しつつ、国家非常事態委員会の命令を遂行するように要求した。これに対して、クロフは、共和国内の全ての重要施設、政府庁舎を警備下に置き、軍の動きを牽制した。
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