8月後半の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 15:16 UTC 版)
「ヒューロン湖の戦闘」の記事における「8月後半の動き」の解説
アメリカ軍は、イギリス軍が川の上流に隠してあった100樽の食料、2隻の平底船と1隻の大型のカヌーを見つけられなかった。Worsleyは川から障害物を取り除き、70樽の食料を積んで8月18日遅くにフォート・マキノーへ向けて出航した。砲艦はこれを発見できず、糧食の不足を除けば困難なくマキノー島にたどり着けると思われた。 砲艦は数日前に嵐のためヒューロン湖に出ていた。それからアメリカ軍は、J・M・ラモットJ. M. Lamotteが率いるカナダのボヤジャーの一隊が、オタワ川、ニピッシング湖、フレンチ川経由でマキノー島へ補給物資を届けようとしていることを知った。それを阻止するために砲艦はマキノー島東側の細い海峡に入った。ボヤジャー隊は警告を受け一旦引き返した。 Worsleyは2隻の砲艦と遭遇したが、発見されることなくやり過ごした。Worsleyは平底船を隠し、カヌーで9月1日にマキノー島に到着した。
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