6年分の成果に対する聴衆の沈黙
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「バーバラ・マクリントック」の記事における「6年分の成果に対する聴衆の沈黙」の解説
マクリントックはしばらくの間、自身の研究成果は研究所の年報に載せる程度であり、発表よりも研究データの積み重ねに注力した。そしてついに1951年(49歳頃)、コールド・スプリング・ハーバーのシンポジウムで成果を発表した。6年かけただけあって、マクリントックに言わせればデータはあらゆる反論に備えた完璧なものであった:219。 当時、遺伝にDNAが関係していることは判明していたが、その役割までは分かっていなかった。それでも、遺伝子が糸で結んだビーズのような構造をしており、減数分裂の時にまれに一部が切れたり繋がったりするとの考え方はあった。遺伝の研究は急速に進んでおり、今まで神秘的ですらあった遺伝の仕組みが、近い将来には古典的な物理現象、とりわけ化学現象として説明できるだろうと予想されていた。 マクリントックの発表は、このような学会主流の予想に全く逆行するものだった。マクリントックの発表によれば、減数分裂の際、一本の遺伝子の一部が、同じ遺伝子の全然別の部分、あるいは別の遺伝子に移動する場合があることを示していた。マクリントックはこの現象を「遺伝子内の要素の動き(transposition)」と呼んだ。マクリントックの説が正しいとすると、数珠繋ぎのビーズで例えるならば、たった1回の減数分裂の間に、5 - 10個目のビーズの一群がごっそり移動して30個目と31個目の間に割り込むようなことがありえることになる。ビーズとビーズの間が切れたり繋がったりすることはありえても、一部が別の場所に割り込んでまで移動するというのは奇想天外だった。この考えは、遺伝子の複製は単純な物理法則に従って行われている、という当時一般の予想に重大な疑問を投げかけるものであり、当時の研究者に受け入れられるものではなかった。 聴衆は、マクリントックの発表を沈黙で迎えた。マクリントックの観察によれば、聴衆の一部は失笑し、何かぶつぶつとつぶやく者もいた。マクリントックはこのような聴衆の反応にかなりのショックを受けた(ずっと後になってからの話であるが、この時の聴衆がマクリントックを否定したり嘲笑したりしたわけではなく、単にマクリントックの説明を理解できなかっただけだと推定する人もいる:235)。学会発表という形式が悪かったわけでもなく、1953年にマクリントックが発表した論文に対する別刷り請求はたった2件だった:219(当時は手軽なコピー機が無かったので、じっくりと読みたい論文があれば、研究発表者が持っている別刷りを送ってもらうのが普通だった。研究発表者は、別刷り請求の多寡で自分の研究の反響を知ることができた)。 1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは、DNAが二重らせん構造を持っており、その複製原理をシンプルに説明できると発表した。これにより、マクリントックの学説はますます理由の説明が困難になった:237。マクリントックの研究の一部はロイヤル・ブリンク(英語版)らにより確認されていたが、このような協力的な研究者は少数だった。 マクリントックは1956年にも発表を試みている。1951年に発表した「Ds-Ac系」に加えて、「Spm系」というさらに複雑な、それだけに「動く遺伝子」が存在するとしか考えられない例を発表した:272。しかしこれにも大した反響は無かった:222。これらの事件の後、マクリントックの対人関係に大きな変化が起きた。今までは、よく依頼講演を引き受け、他の研究者の訪問も歓迎していたが、次第に孤独を好むようになった。例えば高名な分子生物学者ジョシュア・レーダーバーグが訪ねてきた際に、彼が傲慢であるとして30分で追い返してしまった。レーダーバーグは周囲に対して「マクリントックは気違いかはたまた天才か」との感想を漏らしている。一方でドイツの遺伝学者シャーロッテ・アウアーバッハ(シャーロット・アワーバック)のように、マクリントックから丁寧な説明を受け、その後は熱心な支持者になっている人もいる:223。 マクリントックの半生記を書いたエブリン・フォックス・ケラー(英語版)は「同時代の物理学者ファインマンも当時の人々に理解不能で奇想天外な仮説を発表をしていたが、彼はダイソンという世間との『通訳』を持っていたため、早くから正当な評価を得ていた。マクリントックの研究が理解されなかったのは、適当な通訳がいなかったためである」という意味のことを述べている:229。
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