2014年:ラモトリギン過量投与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 21:14 UTC 版)
「東京女子医大事件」の記事における「2014年:ラモトリギン過量投与」の解説
東京地方裁判所 令和2年6月4日 平成29年(ワ)10155 判決文に基づき記載 膠芽腫にて開頭腫瘍摘出術と術後放射線療法と抗がん剤として「テモダール」治療を受けていて、その後にも腫瘍再発を認めていた当時43歳の女性。痙攣発作にて抗てんかん薬の「イーケプラ(その後薬疹疑いあり処方中止)」と「デパケン」の処方を受けていた。推定余命予後は3か月程度で追加の腫瘍摘出術も予定としていた。夫の希望にて病状説明や余命予後は本人に未告知であった。夫からは最後に浅草サンバカーニバル大会に出場したい希望がある旨の申し出があった。 2014年(平成26年)8月20日にけいれん発作にて同院救急搬送。同日の外来担当医より抗てんかん薬の増量が必要である説明が夫にされ、夫よりサンバ大会に出場させるためイーケプラの処方を再開できないか申し出がある。同日手術中の主治医に電話確認し、追加でラミクタール(ラモトリギン)と「マイスタン」の処方指示を受けた。外来担当医より夫に、一般的には少量から開始し定量としていくが、「サンバカーニバルが迫っており、徐々に増やすと血中濃度が上がらず効果を得られない可能性があるので、通常量で処方する」旨の説明がされた。薬局にて薬剤師より疑義照会が外来担当医にされるも、そのままの指示であった。8月23日に本人はサンバカーニバルに出場した。8月26日に同院にて主治医を受診し、ふらつきと短期記憶力の低下の症状が出ていることを伝え数日後の8月29日に再度サンバカーニバル大会にも出場したい旨の相談がされた。主治医より夫に、もしかしたら量が多いかもしれないもののサンバの大会を終えるまで薬剤変更を行わず「眠気等があればラミクタールを半量にすること」と「皮膚異常が出現した場合にもラミクタールを半量にし、それでも悪化があれば中止すること」が伝えられた。 8月29日にふらつきにて再度同院救急搬送され、ふらつきが強いことから同日そのまま同院に入院加療となった。8月31日に顔面の腫脹と発熱が生じ、翌9月1日の血液検査で肝逸脱酵素上昇を認めたため薬疹と診断され、同日ラミクタールとマイスタンの投与中止が指示され強力ネオミノファーゲンシー投与が開始された。9月2日に四肢体幹に膨疹が広がり、同日同院皮膚科の診察を受けて中毒性表皮壊死症と診断され、同日よりステロイドパルス療法が開始された。9月3日に集中治療室に転床し、人工呼吸管と持続血液透析療法が開始され、その後も全身状態悪化し、9月8日に人工心肺装置ECMOも開始されたが同日死亡となった。死因は肺出血とされた。 2016年7月24日に毎日新聞が報道した。第三者機関の調査で、添付文書に記載されている使用量の16倍に当たるラモトリギンの過量投与が行われていたことが記載され、病院側は「適切な処方だった」として過失を否定した。 2017年3月に夫を含めた遺族より、東京女子医科大学及び主治医と外来担当医を相手に民事訴訟として損害賠償請求訴訟がなされ、原告ら請求約4300万円に対して被告らに総額約1500万円の支払い判決が出された。判決文にて、ラミクタール投与上の過失として死亡因果関係があると認定され、サンバ大会へ出場したいという希望を叶えるためという理由で、添付文書から逸脱した処方をすることに合理的理由は無いとされた。
※この「2014年:ラモトリギン過量投与」の解説は、「東京女子医大事件」の解説の一部です。
「2014年:ラモトリギン過量投与」を含む「東京女子医大事件」の記事については、「東京女子医大事件」の概要を参照ください。
- 2014年:ラモトリギン過量投与のページへのリンク