2008年8月からのデモ活動
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「民主市民連合」の記事における「2008年8月からのデモ活動」の解説
2008年8月26日、サマック・スントラウェート首相及び内閣の退陣等を求め、バンコクにおいて大規模なデモを行い、国営テレビ局や首相府等の政府庁舎を包囲、約4か月にわたり占拠した。また、プーケット、クラビーの空港を占拠し、ハートヤイへの交通手段を遮断した。民主市民連合に協調する国営企業労働組合は電車の運行を止め、さらには、「民主市民連合に反対する者への電気と水の供給と止める」と発表した。この闘争では、複数の民主市民連合参加者に加え、民主市民連合に反対する市民1人が負傷した。また、高所得層の支持者のなかには、取り付け騒ぎを起こしタイの財界を動揺させる者も現れた。 また、同年9月には民主市民連合の首相府占拠に抗議する、反独裁民主戦線と衝突し、反独裁民主戦線の男性1人が死亡、約40人が負傷した。 民主市民連合は、当時のサマック首相からソムチャーイ・ウォンサワットへの政権交代を要望し、国会を包囲し、有刺鉄線で国会の会合を妨害した。警察は再三、妨害行為の即時停止を求めたが膠着状態に陥り、事態収拾が困難と判断して強制排除に乗り出した。これにより、複数が負傷、1名が死亡した。また、時期を同じくして民主市民連合の幹部一人が、国民党へと向かう途上、車中で射殺された。その後、民主市民連合は、非暴力的な手段ではない、「血の復讐」を宣言した。 同年11月25日、民主市民連合が重要法案と位置づける法案の採決直前、彼らは再び国会封鎖を敢行し、「ヒロシマ作戦」と称し、公営路線バスや、首相府占拠後に政府の臨時庁舎となっていたドンムアン空港を包囲、占拠した。 この際、政府支持者への狙撃や手榴弾の投擲などを含む一連のテロが始まった。ドンムアン空港旅客ターミナルに加え、タイの国際線ハブ空港であるスワンナプーム国際空港の管制塔を占領し、航空管制を含む、全ての空港機能を停止させた。騒乱後、スワンナプーム国際空港の倉庫内から、内部抗争によるものとみられる民主市民連合メンバーの死体が発見された。 また、チェンマイでは、市民(60歳男性)を車から引きずり出し、銃殺した。さらには、東部の港湾を包囲、攻撃すると政府を脅迫した。 同年12月2日、先の総選挙において党ぐるみの選挙違反があったとして連立与党の人民の力党・国民党・中道主義党に対して解党を命ずる判決が憲法裁判所で出され、連立政権が崩壊する。その翌日、首相のソムチャーイ・ウォンサワットが退陣する。これを受け、デモ活動を終了した。
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