1990年代:室内の出会いの場の隆盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:02 UTC 版)
「新宿二丁目」の記事における「1990年代:室内の出会いの場の隆盛」の解説
戦後直後から1960年代頃までの東京では、出会いの場といえば野外や映画館の暗がりが中心で、「男娼の森」といわれた上野公園や、日比谷公園、日活名画座(現在、新宿丸井)、信濃町駅最寄りの権田原などが有名だった。1950年代は東京は出会いの旅館の黎明期で、1970年代にかけてその数を増やしたとされ、新宿は歌舞伎町に大番(旧コマ劇の北側)ができたが、旅館の多くは大久保に集中していた。その中には新宿ビジネスイン、新宿ビジネスクラブ、旅荘法師、新大久保のホテル・キャンパスがあり、四谷にも料亭を改造した「たま井」が遅くとも60年代には開店していた。 古めかしい旅館や大型施設を経て、1980年代はクルージングスペースができ始める。だが当時の二丁目はゲイバーやディスコが中心で、クルージングスペースといえば仲通りと新宿通り交差点の「スカイジム」(ラシントンパレスに1981年開店)があったくらいで、少し離れた歌舞伎町「ダムアダム(damAdam)」(新宿区役所から路地一つ挟んだ北)、新宿三丁目「かぶきサウナ」、四谷三丁目「バスストップ」(旧春樹)を含めても多くはなかった[要出典]。ラシントンパレスがホテルだった頃、そこにロラン・バルトやミシェル・フーコーが定宿して二丁目のゲイバーに繰り出していたというエピソードがある。 バブルの1990年前後頃から雑居ビルやマンションの一室に開いたビデオボックス(ビデボー)や簡易クルージングスペースなど、新しいスタイルの店が激増する。客層が比較的若いのが特徴で、二丁目では「AmsTrip」(90年頃開店、着衣系)、「バナナプラント」(脱衣系)、「ブラックボックス」(着衣系)、「バックドロップ」(着衣系)、「パラゴン」(93年6月開店、脱衣系)、テレビ電話を導入した「DuO(デュゥオ)」(新宿一丁目、94年頃開店、着衣系)などができた。また始まった年は未検証だが、歌舞伎町などの映画館では映画上映とは別にゲイ向けヌードショーが開かれていた。その後も類似の店は出来ては消え、大久保、代々木、渋谷など周辺地域に店舗を構える業者もあったが、1996年頃から「AmsTrip」、「バナナプラント」、「ブラックボックス」等二丁目の店舗は相次いで閉店。「パラゴン」は2003年1月に閉店し、建物が取り壊され有料駐車場になっている。「スカイジム」もラシントンパレス解体に伴い2004年に閉店している。一方2003年2月には太宗寺の墓地跡地に24会館新宿が開業しているほか、「バックドロップ」等存続している店舗もある。 また1970年代くらいまでの二丁目はバースタイルの店が主流だったが、1980年代初頭頃からプレジデント(1990年閉店)、センチュリーやハピネス、マリンボーイ など、個室型の店が増えていった。
※この「1990年代:室内の出会いの場の隆盛」の解説は、「新宿二丁目」の解説の一部です。
「1990年代:室内の出会いの場の隆盛」を含む「新宿二丁目」の記事については、「新宿二丁目」の概要を参照ください。
- 1990年代:室内の出会いの場の隆盛のページへのリンク