1982年 - 1984年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 19:31 UTC 版)
「中森明菜」の記事における「1982年 - 1984年」の解説
1982年、5月1日にシングル「スローモーション」でデビュー。当初は「森アスナ」という芸名でのデビューも検討されていたが、中森本人が本名でのデビューを希望して芸名を拒否した。1980年代のアイドルにはキャッチフレーズが付けられ、中森のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘ミルキーっこ」であった。 デビュー前に中森が歌ったデモテープには、岩崎宏美「ロマンス」、高田みづえ「硝子坂」、山口百恵「ひと夏の経験」「いい日旅立ち」の4曲が収められていた。来生たかおがこれを聴き、来生たかお作曲・来生えつこ作詞のコンビによる「スローモーション」「あなたのポートレート」「咲きほこる花に…」の3曲が完成。デビュー曲の候補として「スローモーション」「あなたのポートレート」「Tシャツ・サンセット」「銀河伝説」の4曲が挙げられた中、「スローモーション」が選ばれた。この曲は中森も気に入っていたという。 実はそれ以外に、デビュー曲として用意されていたが結局使われなかった「幻のデビュー曲」が存在した。加藤和彦作曲・安井かずみ作詞のコンビで、演奏は高橋幸宏と細野晴臣であったが、曲調が虚無的で退廃的すぎるということでお蔵入りとなり、音源は残されていない。 同年7月、ファースト・アルバム『プロローグ〈序幕〉』を発売。同作はオリコン週間アルバムランキングの10月4日付で最高位5位を記録。続く第2弾シングル「少女A」が、オリコン週間シングルランキングの10月18日付で最高位5位を記録し、同曲でブレイクする。10月には、2枚目のスタジオ・アルバム『バリエーション〈変奏曲〉』を発売し、11月8日付の同社チャートで初の週間1位を獲得、74万枚を超えるセールスを記録する。続いて11月に発売した3枚目のシングル「セカンド・ラブ」は、11月29日付の同チャートで初の週間1位を獲得し、1983年の同社年間シングルチャートで8位を記録、約77万枚を売り上げる。中森はデビュー初期の段階より、衣装・メイク・振り付けに自身がかかわり、楽曲制作においても積極的に意見を取り入れていく。 1983年、2月より自身初の全国コンサート・ツアーAkina Milkyway '83 春の風を感じてを開催。3月と8月には、『ファンタジー〈幻想曲〉』、『NEW AKINA エトランゼ』と通算3作目、4作目のスタジオ・アルバムを発売する。『NEW AKINA エトランゼ』は第25回日本レコード大賞の'83アルバムベスト10を獲得した。12月には初のベスト・アルバム『BEST AKINA メモワール』を発売し、オリコンで5週連続首位を獲得した。歌手としての人気を着実に獲得するとともに、1983年のブロマイド売上実績の女性部門で中森は首位にもなった。 1984年、5月にデビュー3周年目を記念した5枚目のスタジオ・アルバム『ANNIVERSARY』を発売する。同アルバムに収録され、中森の提案によりタイトル名が決定された通算7枚目のシングル「北ウイング」は、1984年のオリコン年間チャートで9位を記録した。10月にも6枚目となるスタジオ・アルバム『POSSIBILITY』を発売し、このアルバムからのシングルの「サザン・ウインド」と「十戒 (1984)」も、この年の同社年間チャートでトップテン入りし、それぞれ年間で10位と6位を記録した。11月には井上陽水から楽曲提供を受けた10枚目のシングル「飾りじゃないのよ涙は」をリリース。アイドルからシンガー、ミュージシャンへの転機となったこの楽曲は、1985年の同社年間チャートで6位を記録した。
※この「1982年 - 1984年」の解説は、「中森明菜」の解説の一部です。
「1982年 - 1984年」を含む「中森明菜」の記事については、「中森明菜」の概要を参照ください。
- 1982年 - 1984年のページへのリンク