1982年 - 1985年: ソロ・デビューからライク・ア・ヴァージン
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1982年、DJのマーク・ケイミンの仲介で、ワーナー・ブラザース・レコード傘下のサイアー・レコードと契約し、同年10月シングル「エヴリバディ」で歌手デビュー。「エヴリバディ」はビルボード・ダンス・チャートで3位のヒットとなった。 1983年、デビュー・アルバム『バーニング・アップ』を発売。全米で500万枚、全世界で1000万枚という成功を収めた。アルバムからは計5曲がシングルカットされ、マドンナにとって初の全英チャートトップ10ヒット曲「ホリデイ」や、初の全米チャートトップ10ヒット曲「ボーダーライン」などが発表された。 1984年、2ndスタジオ・アルバム『ライク・ア・ヴァージン』を発売。全世界で2100万枚、全11ヶ国でチャート首位を獲得し、一躍大ブレイクを果たした。アルバムからの第一弾シングル「ライク・ア・ヴァージン」はマドンナにとって初の全米1位曲となり、6週連続1位のメガヒットを記録する。続く第二弾シングル「マテリアル・ガール」も全米2位を記録し、物質至上主義・拝金主義的な女性という意味の楽曲名はマドンナ自身の愛称となった。この頃から全米でマドンナのユニークなファッションを真似た「ウォナビーズ」(Wannabe's)という少女たちが急増し、社会現象となる。 1985年1月、アルバム『ライク・ア・ヴァージン』のプロモーションで初来日を果たす。2月、カメオ出演した映画『ビジョン・クエスト/青春の賭け』が公開、そして3月には出演映画『マドンナのスーザンを探して』が相次いで公開された。これらの映画からは、自身二度目の全米1位曲「クレイジー・フォー・ユー」と、自身初の全英1位曲「イントゥ・ザ・グルーヴ」がそれぞれ生まれている。7月、『ライヴエイド』に出演し、「ホリデイ」、「イントゥ・ザ・グルーヴ」、新曲「ラヴ・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・アラウンド」の3曲を歌唱した。8月16日、27歳の誕生日に俳優のショーン・ペンと結婚する。同年、雑誌『PLAYBOY』に1979年頃に撮影されたモデル時代のヌード写真が掲載された。
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