1974年通商法の制定までの経緯と現在までの改正
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「1974年通商法」の記事における「1974年通商法の制定までの経緯と現在までの改正」の解説
セーフガードは、1942年に締結された米国・メキシコ貿易協定に規定されて以来、原則として、以後の全ての米国の通商協定に含まれている規定であり、急激な輸入の増加により損害を受けた産業を保護するための(協定で約束した関税率を超える)関税引上げ又は数量制限の適用を例外的に認める規定である。米国では、当初は、国務省により損害の有無の認定が行なわれたが、1947年の大統領令により、損害の認定は独立行政委員会である関税委員会に移管された。また、同委員会が損害を認定しても大統領が保護措置の実施を拒否できるとの仕組みがこのとき作られた。 1946年ジュネーブにおけるガットを作成するための会合で、米国代表は、ガットにもセーフガードが必要であることを強く主張した。この結果、ガット第19条が設けられ、セーフガードは、国際的に認められた概念となった。 米国では、当初セーフガードは、1930年関税法第350条(互恵通商協定法)により関税引下げの撤回として行い、特に国内法に規定していなかったが、1951年通商拡大法では、セーフガードを法制化し、損害認定のための基準を次のように設定するとともに、関税委員会の調査は1年以内に終了しなければならないこと等を定めた。 ① 譲許された産品について ② 一部又は全部が譲許の結果として ③ 合衆国の生産者に重大な損害を与え又は与えるおそれがあるような ④ 国内産業に対して絶対的又は相対的な増加した数量で輸入されているか否か決定すること。 1953年通商協定延長法は、関税委員会の調査期間を9ヵ月に短縮し、更に、1958年通商協定延長法は、これを6ヵ月とした。 1962年通商拡大法により貿易調整補助制度を設けたため、議会は、ある産業の全てのセクターが損害を受けているような特別の事態にのみセーフガードを発動することとし、それ以外の場合は、貿易調整補助制度により対応することとした。国内産業の損害認定の規準が、次のように改められ、大統領は、関税委員会の勧告どおり関税の引上げを行うか、これに替えて貿易調整補助制度を適用するか選択できることとされた(損害認定を拒否していかなる援助も与えないこともできる)。 ① 輸入品の数量が増加しており、 ② 輸入品の増加の原因が「主として」通商協定による譲許であり、 ③ 同種の産品又は直接競争産品を生産している産業が、重大な損害を受け、又は受けるおそれがあり、かつ、 ④ 増加した輸入品が上記の損害を与えた又は与えるおそれがある「主要な要因」であること。 1962年貿易拡大法のセーフガードについて、関税委員会の運用があまりにも限定されているとして、1974年通商法は、輸入品の増加の原因が「主として」通商協定による譲許であるとの条件を削除するとともに、「主要な要因(The Major Factor)」を「実質的な原因(Substantial Cause)」に改め、「実質的な原因」とは、他の原因よりも小さくない重要な原因であるとした。 1974年通商法による改正以降も国内産業による201条提訴が少ないとして、議会は、1988年包括通商競争力法により、1974年通商法を改正し、国際貿易委員会(ITC)による被害認定規準の明確化、国内産業の定義の明確化、危機的状況下における暫定救済措置の設定等提訴者に有利な規定に改正した。また、提訴者が救済措置期間中に積極的に調整措置を促進する計画案を提出することを奨励する規定を設けた。国際貿易委員会の損害認定は、提訴から120日以内とされた。 さらにウルグアイラウンドの結果制定されたウルグアイラウンド協定法は、ウルグアイラウンドで作成されたセーフガード協定に従い、暫定措置を原則的に関税措置とし、措置の期間を協定に合わせる等の改正を行った。
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