1974年革命の後の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 05:49 UTC 版)
「ポルトガルの宗教」の記事における「1974年革命の後の変化」の解説
1974年のカーネーション革命とポルトガルの民主化(英語版)の後に制定された1976年のポルトガル1976年憲法(英語版)により、カトリック教会と国家は再び正式に分離された。教会はポルトガルで特別な地位を有しているが、大部分は廃止された。他の宗教は今では自由に組織を作る事や実践する事が出来る。 憲法改正に加えて、ポルトガルは更に世俗的な国家になった。ポルトガルが貧しく、農村的で識字率が低かった頃、伝統的なローマ・カトリックは栄えていたが、都市化が進んで識字率が向上し、世俗化も進むと、宗教の実践は衰退して行った。寄付行為やミサに参列する人の数が減少した様に、司祭になる男性の数は減少した。1990年代初頭までには、殆どのポルトガル人はそれでも何となく文化的かつ宗教的な感覚で彼ら自身をカトリック教徒であると認識していたが、約三人に一人しか定期的なミサに参列していなかった。宗教に対する無関心は男性や若者に特に顕著になった。定期的に教会に行く人々は殆ど女性や幼い子供になった。 カトリック教会はもはや以前の社会的影響力を持たなくなった。19世紀やサラザール体制の頃には、教会は軍隊や社会経済的エリートの間で同国の最も強力な組織の一つであった。事実、軍隊、財界、政府、そしてポルトガルでの宗教的影響は、屡々文字通りに密接に絡み合っていた。伝統的には、エリート一族の長男は土地を相続し、次男は軍隊に入り、三男は司教になった。しかしながら、1990年代初頭までには、ローマ・カトリック教会は最早この超越した立場を保てなくなり、ポルトガル人の関心の優先順位で7位か8位にまで下落した。 1980年代までは、そうした試みが恐らく裏目に出ると知っていたので、教会はポルトガル人がどの候補に、或いはどの政党に投票するのかに対して滅多に指図しようとしなかった。1970年代半ばのカーネーション革命の絶頂期の頃に、教会は特にポルトガル北部で中道派や保守派の候補に投票し、共産主義者を退ける様にと促したが、その後は教会はそうした露骨な政治的役割を控える様になった。 カトリック教会は1976年の憲法改正を妨げる事が出来ず、この憲法は教会と国家を分離し、教会は道徳やその責任の範囲内に入ると考えていた問題、つまり離婚や人工妊娠中絶を自由化する法律の制定も阻止出来なかった。
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